ジョナサン・アイブがAppleを去るニュースは、Appleにとっても、ハードウェアに関わるテクノロジーメーカーにとっても、重要な1ページになる。
前稿「ジョナサン・アイブのApple退社と新iPad Proの関係」で、Appleのハードウェアデザインはスマートフォン、コンピュータ、タブレットで完成の域に達しつつあり、ウェアラブルやホームといったこれから伸ばしたい分野のフロンティアを残すばかりとなってきた。
もちろん、新しい技術を取り入れた製品を、Appleは今後も世に送り出すことになるはずだ。しかし、人が触れるデバイスのデザインとして、さらに新しい要素があるとすれば、身につけたり据え置かれたりする分野になるのではないか。
だとすれば、アイブがやり遂げたという達成感を感じたり、より多くの時間を別のことに使いたい、と考えることも理解できる。
コメンタリーの変化
そもそも製品発表に登壇することはなかったが、ジョナサン・アイブは新製品を紹介するビデオのナレーションを務め、そのデザインの意図や見どころを語るのが恒例だった。
例えば、2018年9月のイベントで発表された新しいデザインの「Apple Watch Series 4」では、ジョナサン・アイブがコメンタリーを録音している。
しかし、同じ年の10月に登場した「iPad Pro」では、新しいデザインとなったにもかかわらず、ワールドワイドプロダクト担当上級副社長のフィル・シラーがナレーションを務めた。
同じ日に登場した新デザインの「MacBook Air」では、シニアプロダクトマネージャのラウラ・メッツが担当した。
2019年6月のWWDC19で発表された「Mac Pro」は、再びアイブがナレーションに復帰したが、一部に限られていた。
まったく新しいフォームファクターとなったiPad Proはもちろん、MacBook Airも2010年に登場して以来のデザインの刷新だった。しかしながら、いずれのビデオにもアイブはナレーションに登場しなかった。
iPad Proについては、デザインの工夫というよりは、形を決めてエンジニアリングが頑張ったと見るべきかもしれない。MacBook Airは、すでにMacBookで実現している設計を拡大させただけ、と解釈すれば、取り立てて説明する内容もなかったといえなくもない。
実は15年変わらないデザインも
Appleのデザインの新陳代謝は、他のメーカーや製品と比べても長い。毎年新しさをアピールすべきスマートフォンも、デザイン変更は長らく2年に1度のペースを保ってきた。iPhone 6世代は3年に延び、現行のiPhone X世代はおそらく今年も基本的なデザインを変更せずにリリースされると予測している。
例えばiPhone XSを見ると、背面カメラの出っ張りはあるが、金属フレームと両面ガラスのデザインをこれからどう変化させるのかの方が悩ましい。割れにくい素材に変更するとしても、形を根本から変える必要はないだろう。
iPadは、初代こそ側面が垂直に立った構造だったが、2011年に登場したiPad 2で側面が曲面となり、次第に薄型化しながらiPad 3、iPad 4、iPad Air、iPad Air 2、iPad Proと発展してきた。現在のiPad(第6世代)は初代iPad Airのデザインであるし、現在のiPad Air(第3世代)は、iPad Pro(10.5インチ)のデザインが活用されている。
iMacは2004年に、ディスプレイの背後にコンピュータを収めて1枚の板とし、これをアルミニウムのスタンドで浮かせるデザインを採用した。途中、本体がポリカーボネイトからアルミとプラスティックの構成に変わり、2009年にアルミニウムのユニボディ化がなされ、これが鋭いまでに薄型化される変遷を遂げているが、iMacの立ち姿は15年間変わっていない。
Mac ProとともにリリースされたPro Display XDRは、これまでのAppleのディスプレイやiMacとは異なる意匠のスタンドで登場した。スタンドだけで999ドルという価格はiMac本体と同じような金額になるが、iMacのデザインの将来に影響を与えるかどうか注目している。
テクノロジーの進化と、デバイスという存在の変化の中で
iMacが15年間にわたってその形を変えない理由は、「デスクトップパソコン」というデバイスに必要なデザインが完成したから、と考えてよいのではないだろうか。
iMacに必要なデスク上のスペースは、アルミニウムのスタンドの底面積、キーボード、そしてマウスもしくはトラックパッド分しか必要ない。できるだけ大きなディスプレイと本体を省スペースに納めるという命題を、iMacはすでにクリアしているように見える。
デスクトップというフォームファクターが続く限り、iMacのデザインに大きな変更は必要ないと考えられる。例えば、VRがディスプレイの基本になれば、Mac miniのようなデバイスのほうがコンパクトで済むかもしれないが、それがいつになるのかはまだ分からない。
このように、フォームファクターが変わる前に、あるべきデザインに早くたどり着こうとするのがAppleの方針であり、そこにたどり着いたら無闇に変化させないというのもまた、これまで採ってきた手法であることが分かる。
主力製品のMac、iPad、そしてiPhoneであるべき姿に取りついたのであれば、工業デザインの鬼才を社内に置いておく必要はなくなってくる。
現に、Appleはサービスへのシフトを展開しており、今後いまあるデバイス、あるいはそのデバイスの新種を駆使して、サービスでの収益をあげていく企業になろうとしているのだ。
アイブ退社のニュースは、筆者にとっては、Appleがこれから中核となる新しいデバイスを生み出さないことの意思表示だった、という解釈にさそわれ、やや寂しい気持ちになっている。
著者プロフィール
松村太郎
1980年生まれのジャーナリスト・著者。慶應義塾大学政策・メディア研究科修士課程修了。慶應義塾大学SFC研究所上席所員(訪問)、キャスタリア株式会社取締役研究責任者、ビジネス・ブレークスルー大学講師。近著に「LinkedInスタートブック」(日経BP刊)、「スマートフォン新時代」(NTT出版刊)、「ソーシャルラーニング入門」(日経BP刊)など。Twitterアカウントは「@taromatsumura」。