元プロ野球選手の古田敦也が、28日放送のTBSのドキュメントバラエティー『消えた天才』(18:30~)に出演。「プロでも自分より守備がすごいと思える選手はいなかった」と語る古田が、アマチュア時代に絶対に勝てなかったキャッチャーの存在を明かす。
古田がその天才と出会ったのは社会人野球時代。当時から強肩で有名な古田だったが、初めて見た天才の送球を前に「ホームベースから盗塁を刺す送球が見たことのない速さだった」「衝撃だった」と、一目で負けを認めたという。しかし、その強肩は古田に大きな影響を与えた。プロ意識が高かった古田にとって、「この天才を超えていかないとプロにはなれない」「彼の存在がなければ今の僕はいない」と、その強肩を生かし、1993年にはシーズン盗塁阻止率.644の日本記録を打ち立て、通算でも歴代1位(.462)となる平成の名捕手・古田の原点となった。
そんな古田が勝てなかった天才は、大学No.1キャッチャーとしてメディアからも注目を集め、大学4年の秋にドラフト指名を受けた。しかし、なぜか天才は入団を拒否。そのまさかの事態に球界は騒然とし、“プロ入りを蹴った男”としてバッシングを浴びた。古田が「守備でお金がとれる選手」と認める実力がありながら、なぜプロ入りを拒否したのか。
本人にその理由を聞くと、「プロに行きたい気持ちはあった。プロ野球選手は小さい頃からの夢だった」「本音を抑えてプロ入りを我慢した」と、当時の葛藤を告白。プロ入りしなかった衝撃の事実が明らかになる。22歳の天才が直面した過酷な現実とは・・・。