『仮面ライダークウガ』(2000年)をはじめとする歴代「平成仮面ライダー」の演出面を支え、昨年(2018年)は『仮面ライダーアマゾンズ THE MOVIE 最後ノ審判』を手がけて各方面から話題を集めた石田秀範監督が次に取り組んだ作品とは、意外にも初挑戦となる「時代劇」だった。しかも、90年代から東映東京撮影所でキャリアを積んできた石田監督が、初めて東映京都撮影所のベテランスタッフと組んだ作品こそが、今回の映画『GOZEN -純恋の剣-』であるという。
「映画」と「舞台」、そして「特撮ヒーロー出演俳優」と「時代劇」という"2つの異なる要素"を組み合わせてさらなる高みを目指した本作。「石田監督」と「京都撮影所」の組み合わせは、どのような面白さにつながったのだろうか。石田監督に本作の手ごたえを聞いた。
――まずは、本作『GOZEN -純恋の剣-』を石田監督が手がけることになった経緯からお聞かせ願えますか。
それは、プロデューサーから「こういう作品がありますよ」とオファーをいただいただけですよ。正直に言いますと、時代劇は門外漢というか、これまで一度もやったことがないので、最初にお話をもらったときはなんで僕に?という感じはしましたね。どういう経緯でこうなったのかはわかりませんが、指名をしていただいた以上は"自分のやりたいようにやる"というこれまでの姿勢を貫きとおすのが、各方面への"礼儀"だと思って取り組みました。
――塚田英明プロデューサーや大森敬仁プロデューサーのお話によると、これまで東映の特撮ヒーロー作品で活躍していた若手俳優さんたちが「時代劇」に挑むことで、新しい魅力を引き出したいという狙いがあったようです。そういう意味では、これまで平成仮面ライダーシリーズや『仮面ライダーアマゾンズ』で日々意欲的な演出にチャレンジされている石田監督へのオファーは自然な流れだと思いました。
塚田さんや東映ビデオの中野(剛)さんたちも、僕がどういう演出をするかよくわかっているはずだから、それを承知のオファーではあったと思いますね。自分の色を出してもいいというか、"自分から色を出していきましょう、出すべきだ"という姿勢は変わりませんでした。
――とはいえ、時代劇の本場であり、長い歴史を誇る東映京都撮影所のスタッフさんたちの中に、東京から石田監督が単身"挑んで"いくという形ですから、最初はプレッシャーのようなものがあったりしませんでしたか。
それはもう、不安だらけでしたよ。若いころ、助監督時代から、「京都は怖いぞ」と聞かされていましたからね。それこそ、「この世の地獄によく来たな」みたいな(笑)。でも、昔はそうだったのかもしれませんが、時代が変わったのか今はぜんぜんそんなことなくて、時間が経てばみなさん非常に接しやすくしてくださって、楽しく仕事のできる現場になりました。
――長年、時代劇を作って来られた昔ながらのスタッフさんはいらっしゃいましたか。
みなさんベテランでしたよ。僕が時代劇の新人監督なものですから、あえて京都で長年やっていらっしゃるベテランの方たち、各分野でトップを張っている優秀な面々をそろえてくださったんじゃないでしょうか。なんといってもこっちは門外漢ですから、周りをきっちり固めておかないと映画として成立しないんじゃないか、という判断があったのではないかと思います。実際、みなさんにはいろいろな部分で助けていただきました。
――石田監督ご自身は、時代劇というジャンルについてはどのような思いを抱かれていますか?
ふだんから好きで、よくテレビで観ています。でも、それは映像として観ているだけであって、実際にどのような作り方をすればいいかはわかりませんから、その点はスタッフのみなさんにおんぶにだっこ、すべてをゆだねました。
――特に、時代劇ならではの難しい部分があったら教えてください。
時代劇における人物たちの立ち振る舞い、所作全般ですね。そして道具類、衣装も、どういうものを身に着けさせるのか、まったくわからないですから。"時代"的におかしいものはおかしいので、そのあたりは苦労しました。しかし、ただ時代にそぐわないから、ルールに反しているからまったく受け付けない、という姿勢ではなかったんです。スタッフのみなさんは作品の企画意図をしっかり理解されているので、100パーセント時代劇のルールに沿ってもらわなければ困るというのでなく、50パーセントは守ってもらうけど、残りの50パーセントは"遊んで"いいよ、というスタンスでした。例えば僕が「ここはこういう風にしたいんだけど、時代劇的にはどうでしょうか」と、時代劇のルールとの整合性をしっかりと見極めている人たちだからこそ、こちらとしても意見が言いやすかったですね。
――なるほど。それはいつもオーソドックスな"時代劇"を撮っているスタッフさんだからこそ、"ルールを絶対に守るべき部分"と"少々ルールから逸脱してもいい部分"のさじ加減がお分かりになるのでしょうね。
そうなんでしょうね。そこはベテランならではの知識の抱負さ、経験値ゆえのものだと思います。
――京都には時代劇のロケ撮影に適した場所がたくさんあり、監督もイマジネーションを高められたのではないでしょうか。
とにかくスケジュールがタイトだったので、あちこちロケに行くことができなかったんです。ほとんどスタジオと撮影所内のオープンセットで、ロケに出たのは一か所だけでした。でも東映太秦映画村のオープンセットや、時代劇のステージを観るのも初めてでしたから、確かにワクワクする気持ちはありましたね。しかし、ワクワクはしましたが、このステージやセットをどういう風に切りとり、画面にしていくのかがわからなくてね。そのあたりは時代劇の新人なもので(笑)。スタッフさんのお力無くしてはできませんでした。
――今回の映画では、腕自慢の侍たちが自分たちの技の限りを尽くして戦い合う「御前試合」という部分と、お互い逆境の立場にありながら激しく惹かれあう凛ノ介と八重の「恋愛の行方」という部分が肝になっているようですが、このあたり石田監督から何か要望されたことなどはありますか。
特に僕からはこれといった要望は出していません。脚本はプロデューサーサイドの希望が反映されたものにはなっていますけれどね。企画立ち上げの理由もはっきりしていましたし、僕が映画の内容に関して意見を出したことはありません。ただ、自分としてはこれまでやってきた"ニチアサ"と呼ばれる特撮ヒーロージャンルの方向には寄せたくはなかったので、そういった意思表示はしていたかもしれませんね。どうせ時代劇を撮るのなら、目の肥えたファンの方にも納得してもらえる作品として、近づけたかったんです。その一方で、これまで時代劇に触れたことのないような若い方たちにもわかりやすい内容で行きたい、といったせめぎ合いもありましたね。
――冒頭、御前試合に出場する侍たちがそれぞれの得意な剣技を披露するくだりなどは、ヒーロー作品のオープニングにも通じる"カッコよさ"の追求が感じられます。また、別の場面では舞台劇のようなライティングが見られました。リアルを突き詰めるとああいった風にはならないですから、あそこはまさに石田監督の意図的な演出なのではないかと思います。
確かに、そういったやつは僕の世界ですよね(笑)。キャラクターものでよくやっていた演出を意識的に出しているところもありました。まあ、こういうことをやらせたくて僕を呼んでいるな、ってことですかね。