現在大ヒット上映中のアメリカ映画『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ(GODZILLA KING OF THE MONSTERS)』(監督:マイケル・ドハティ)の偉大なる"原点"である東宝映画『ゴジラ』(1954年/監督:本多猪四郎)の公開から、今年で65年となる。同時に、『ゴジラ』の主演俳優・宝田明の芸能生活も65周年を迎えた。これを記念して、日本の伝統文化である岩手県の"南部鉄器"とゴジラがコラボを行い、宝田明・総合プロデュースによる「南部鉄瓶ゴジラ」が誕生した。65周年にちなみ、世界限定65点の生産・販売となるこの「南部鉄瓶ゴジラ」のお披露目を兼ねて、「<ゴジラ&宝田明>65周年記念イベント」が5日、新宿・マルイアネックスの「ゴジラ・ストアTokyo」にて開催された。
第1作『ゴジラ』の"フリゲートマーチ"に乗ってステージに現れた宝田は、『ゴジラ』撮影の思い出を聞かれると、「私にとって夢にまで見た"主役"の座でございますから、台本をいただき、撮影を行い、完成試写があって、渋谷の劇場まで観に行ったこと……すべてが今でも鮮明に、記憶の中に残っております」と、ゴジラに対する人間サイドの主役「南海サルベージ」所長の尾形秀人を演じた記憶が、現在でも心に刻まれていると語った。
尾形を演じたとき20歳だったという宝田は、現在85歳でありながら背筋がしっかり伸びていて、さすが"永遠の二枚目スター"と呼ばれるだけあって衰えを感じさせない若々しさを保ちながら、にこやかな笑顔でトークを進めた。
日本(東宝)で製作されたゴジラシリーズは第1作『ゴジラ』から『シン・ゴジラ』まで29作品存在するが、宝田はその中で『ゴジラ』および『モスラ対ゴジラ』(1964年)『怪獣大戦争』(1965年)『ゴジラ・エビラ・モスラ南海の大決闘』(1966年)『ゴジラVSモスラ』(1992年)『ゴジラFINAL WARS』(2004年)と、つごう6作品に出演を果たしているほか、『獣人雪男』(1955年)『日本誕生』(1959年)『世界大戦争』(1961年)『キングコングの逆襲』(1967年)『緯度0大作戦』(1969年)など、円谷英二特技監督が手がけた数々の特撮映画でも活躍した。2014年に公開されたアメリカ版『GODZILLA ゴジラ』にも宝田の出演シーンが撮影されていたが、残念なことに編集段階でカットされてしまったという。宝田はこれについて「渡辺謙の出演シーンを2分削って、私のシーンを入れてほしかった(笑)」とギャレス・エドワーズ監督に意見したことを打ち明け、苦笑いしていた。
日本が生んだ映画スターとして、今や世界じゅうでその名が知られるようになったゴジラについて宝田は「ゴジラは三船敏郎よりも先に、アメリカ映画の殿堂入りをしやがって(笑)。なんとも生意気な野郎でございますけれども、世界各地で親しまれており、ゴジラはほんとうに幸せ者だと思います」と、ゴジラの"同期生"ならではのくだけた言い方でゴジラのハリウッド進出、そして世界各国での人気ぶりを称えた。
「ゴジラの根底には、戦争の恐怖がある」と語る宝田は、第1作『ゴジラ』が65年を経てなお多大な支持を受けている理由として「大国同士の原水爆実験に対する批判精神」そして「核兵器の廃絶」といった確かなテーマ性があり、スタッフもキャストも心して作品作りに取り組んでいたことを改めて強調した
ここで、ドーン! ドーン!というただならぬ重みを感じさせる"足音"が鳴り響いたかと思うと、ステージに"初代ゴジラ"が登場。ゴジラの"鳴き声"を聞いた宝田は「あっ、ゴジラだ!!」と、往年の怪獣映画のノリが甦ったかのようにゴジラを指差して驚愕の表情を作ってみせた。
現れたゴジラと固い握手を交わし、その力の強さに思わず痛そうな表情を浮かべた宝田は、ゴジラとの出会いを振り返り「撮影が始まっても、ゴジラはなかなかその姿を見せてくれず、われわれ俳優は"絵コンテ"でしかゴジラを確認できませんでした。やがてマスコミにゴジラが"解禁"され、向こうからノッシノッシとゴジラが歩いてくる。記者の方から『宝田さん、ゴジラとおしくらまんじゅうをしてください』と言われまして、共演の河内桃子さんと一緒にゴジラを手で押さないといけなくなった。僕は気持ち悪いからイヤだって言って逃げたんですけれど、ゴジラの中から『おい宝田、怖くないから来いよ』なんて声がする。それが、ゴジラに入って演技をしていた中島春雄さんだった」と、初代ゴジラ俳優として世界的にも有名な中島春雄さん(2017年没)との思い出を語った。
続いては、自身の芸能生活65年とゴジラ誕生65年を記念して「何か後世に残せるものを作ることができないか」と考えた宝田が総合プロデュースを行った「南部鉄瓶ゴジラ」のお披露目が行われた。南部鉄器の製造会社「及富」の専務で、宝田とは長年親交のある菊地章氏らの発案、そしてイギリス出身のアーティスト、グレゴリー・ローズ氏が原型を製作した「南部鉄瓶ゴジラ」は、従来の鉄器鋳造とは違ったロストMAX方式による新技術を駆使し、3か月以上の日数をかけて1体ずつ丁寧に作り上げているという。
第1作『ゴジラ』で、ゴジラが初めて人々の前にその全容を表した「大戸島」をイメージしたベースに、ゴジラの頭部を模した本体、そして尻尾をイメージした取っ手がついた「南部鉄瓶ゴジラ」は、頭部のフタを外して中に熱湯を入れると、ゴジラの"鼻"にあたる部分から注がれる仕組みとなっている。「鉄瓶」ゆえに15kgという重さがあるのだが、宝田はさっそうと取っ手を掴んで湯を注ぐパフォーマンスを行い、周囲を沸かせた。なお、この「南部鉄瓶ゴジラ」は65周年にちなんで65体の限定生産・販売となるが、もうすでに3個も買い手がついていることまでも明かされた。一般には6月5日より、ゴジラ・ストアのECショップにて予約受付が開始されるという。
宝田は第1作『ゴジラ』を改めてふりかえり、「65年前のゴジラはモノクロ映画でした。それゆえに、画面を見るとまるでレンブラントの絵画のような鮮烈な印象があります。これからゴジラは、世界のヒーローとして愛されていくでしょう。ゴジラよ、永遠なれ!」と力強くコメントし、ゴジラが今後も世界じゅうで親しまれ、愛される存在であり続けることを願っていた。
近年はアメリカで開催されるゴジラ・ファンのイベントにゲストとして呼ばれることも多い宝田は、「税関で職員が私の顔を見て"ゴジラ映画のアキラか!"と驚く」といった、ゴジラの知名度の高さを示すエピソードを明かしたほか「最初にゴジラを見た世代はもう70代。おじいちゃん、その子、孫が一緒になってイベントでゴジラの格好をして盛り上がっている。三世代にわたってゴジラが愛されているのは嬉しいし、誇りに思う」としみじみ語っていた。
くりかえし「『ゴジラ』には、核兵器廃絶を訴えるメッセージ性が重要だ」と話す宝田は「ゴジラだって水爆実験の被害者だけれど、それが人間の都合で最後には殺されてしまう。私は映画を観たとき、ゴジラがかわいそうで思わず涙を流した」と、ゴジラを憎むべき敵としてではなく、人間の悪しき行いに翻弄される悲しい生物として捉える姿勢を強めていた。宝田は続けて「こんどゴジラが出現することがあったら、私がアイコンタクトをして、各地の核兵器を徹底的に破壊し、失くしてもらうようゴジラに頼もうかと思っている。彼は"わかった! 昔の同級生よ"と理解してくれるはず」と、自身とゴジラとの固い"友情"を感じさせるストーリーをしばし夢想していた。