近年の日本では売り手市場が続いており、人材不足が深刻な問題となっている。地方ではより顕著で、人材が集まらないことが要因となって廃業に追い込まれている企業も少なくはない。そんな中、山口県・岩国市の山奥という立地ながらも、年に10数名の新卒社員が入社する企業がある。それが、今や世界的にも人気が高い「獺祭」を製造する旭酒造だ。"若者の酒離れ"がよく聞かれる今、なぜこの酒蔵に若い人材が集まるのか。同社で働く若手社員の話をもとに、その理由に迫っていきたい。
社員一人ひとりが「獺祭」造りのプロに
取材前、山奥にあるとは思えないような近代的な高層ビルの酒蔵を見学させてもらったのだが、データ管理や機械を取り入れた他にない酒造りの現場には心底驚かされた。
また、それだけでなく同時に驚いたのが、酒蔵内を案内してくれた若手社員である竹田挙人さんの明瞭簡潔な解説。工程内容から機械の詳細まで、どんな質問をしてもすぐさま丁寧かつ的確な返答をくれる。これが酒蔵案内を本職とする人ならばまだわかるが、竹田さんの仕事は「洗米」。「獺祭」の酒造りを担う製造部の社員なのだ。
「酒蔵の見学は基本的に毎日受け付けているのですが、その案内は大卒の社員が担当しています。質問されてわからないことがあれば、その都度調べて答えられるように知識を身につけていきますので、製造部の自分にとっても『獺祭』の酒造りをより深く知るうえで役立っています」
そこには、"担当している部門だけでなく、酒造りのすべての工程を知ってほしい"という桜井一宏社長の想いが背景にある。例えば製造工程でデータにずれが生じた場合、その原因を追究するためには、自分の担当部署だけでなく、すべての工程を知っておくことが必要。社員ひとり一人がそんな「獺祭」を造るうえでのプロフェッショナルな知識を身に付けることで、今や世界で評価される名酒が造り出されているのである。
――そう聞くと、厳しく徹底された教育体制を想像するかもしれない。もちろん、社員たちがストイックに仕事に向き合っているという点に間違いはないが、昔ながらの職人気質な"見て覚えろ"というようなスタイルは、この旭酒造にはないのだという。
「他の会社と違い、20代の若い世代の社員が多いということもあり、社員それぞれが協力し合っています。新人には先輩社員が手取り足取り業務を教えますし、わからないことがあればわかるまでしっかりと説明します。製造業務は、データ管理とマニュアル化が徹底されていますので、新人への教育がしやすいということも言えると思います」
就職の決め手は社員同士のつながり
あまりにしっかりとしているのでベテラン社員のように思えるかもしれないが、竹田さんは現在25歳で入社4年目。社会人の中ではまだまだ若手の年代だ。そんな彼は、地元の広島で大学を卒業し、新卒で旭酒造に入社したのだという。「大学を卒業したら都会で働こう」と考える学生も多い中、なぜ同社を志望したのだろうか。
「大学の学部が食品に関わるものだったのですが、ゼミを担当してくださっていた先生が日本酒にとても造詣が深い方でしたので、その影響で自分も日本酒に興味を持ち、卒業後は酒蔵で働きたいと思うようになりました。その先生が『今とても人気のある"獺祭"の酒蔵だがら、自信をもって薦められる』と紹介してくださったのが、この旭酒造だったんです。入社前に2回の研修をさせてもらい、そのときの印象もとてもよかったので働きたいと決意したのがきっかけです」
そんな"印象のよさ"にもっともつながったのは、前述した社員たちの協力し合う雰囲気や教育の姿勢だったのだという。
「2回目の研修に来たとき、先輩方が『おーまた来たんか!』と明るく声をかけてくださったのがとても嬉しかったんですよね。わからないことは丁寧に教えてくれますし、酒造りのノウハウにも興味が湧きましたし、ここで働きたいと強く想いました。実際に入社してからも、研修のときと変わらない職場の雰囲気でしたので、戸惑いや辛いと思うこともありませんでした」
現在4年目を迎えた竹田さんは、今や若くして「洗米」部門のリーダー的な役割を任され、自分自身も後輩を教育する立場となった。入社前に自分が魅力に感じた教育は、これから後輩たちにきちんと引き継いでいきたいと語気を強める。
「世界でも大勢の方が評価してくださっている『獺祭』は、杜氏がいないという独自のシステムで生み出されています。製造の一端を担う自分としても自信をもって"誇れるシステムだ"と思っていますので、この製造方法を先輩方から受け継いだ教育で、次の世代に引き継いでいきたい。それが今の自分の目標です」
旭酒造に若い働き手たちが集うワケ
竹田さんは就活の際、父親に「日本酒に興味があるけん、そっちの業界に行きたい」と話したところ、「それやったら『獺祭』で働けたらええのう」と言われたのだという。卒業後、その言葉通り旭酒造で「獺祭」を造る仕事に就いた息子に、ご両親はとても喜んだそうだ。「地元に帰るときには、親戚や近所の人たちにせがまれるんで、いつもお土産に『獺祭』を持って帰るんですよ」と話していた。とても嬉しそうな表情で。
自分の仕事である酒造りに、自分が造っている「獺祭」という酒に、竹田さんの言葉からは常に自信が感じられる。それは、桜井社長が抱く社員へのこんな想いにも通じていると言えるだろう。
「『獺祭』を造っている会社で、自分が何をしたいか、何ができるか、そして自分の成長につながるかどうか。社員たちには、それを見据えてほしいと思っています。そのうえで、"社員の幸せ"と"お客様の幸せ"がつながれば、私としては一番嬉しいですね」
なぜ、この山口県の山奥にある酒蔵に若い働き手が集まるのか? ――その答えは、社長を含むすべての社員たちが胸に抱いている「美味い酒を造りたい」という熱意に尽きるのかもしれない。