「おい、獺祭が飲める店に行くぞ」。十数年前になるだろうか、酒通の先輩からいつもそんな誘い文句で夜な夜な呑み屋に連れて行ってもらっていた。あの頃はまだ"なかなか出会えない幻の酒"とも言われていた獺祭を、ちびちびと噛みしめるように味わっていたのを覚えている。今や獺祭は世界の20カ国以上で販売され、三ツ星レストランでも高い評価を受けるなど"世界でもっとも有名な日本酒"と言っても過言ではない。日本でも酒好きなビジネスマンならば、その名を知らない人はいないだろう。
今でこそ、そんな名実ともに兼ね備えた「獺祭」だが、現在に至るまでの道のりは実に険しかったと聞く。日本酒ブームと言われる今、人気を牽引する名酒「獺祭」はどのように誕生したのか。山口県・岩国にある製造元の酒蔵「旭酒造」を訪ねた。
辿り着いたのは新しい酒蔵のカタチ
岩国市から山間へと車を走らせると、突如目の前に現れるのが、周囲の景観には似つかない近代的な12階建ての高層ビル。酒蔵と言えば、木造の日本家屋を想像する人がほとんどだろうが、そんなイメージをすっかり覆す外観に驚く。近代的なのは外観だけでなく、酒造りの現場であるビル内部も例外ではない。
「洗米」「蒸米」「製麹」「瓶詰」など各工程ごとにフロアが分かれており、いずれも手作業と機械を織り交ぜた独自の製造スタイルで酒造りが行われている。機械で効率的に作業が進められている工程もあれば、スタッフ一人ひとりが自身の感覚を頼りに丁寧に手作業を行う工程もある。日本のどこを探しても、このような酒造りの光景は見られない。
それもそのはずで、一般的な酒蔵では「杜氏」と呼ばれる酒造りの責任者が指揮をとりながら日本酒を造っていくのだが、この旭酒造に杜氏はいない。しかも、作られている酒は精米歩合50%以下で醸造アルコールは一切不使用という、もっとも手間もコストもかかる"純米大吟醸酒"のみなのだ。
しかし、積極的に新技術を投入しようと考えたわけでもなければ、緻密に戦略立てしたわけでもなかった、と社長の桜井一宏さんは話す。想っていたことはただひとつ、「山口県の山奥から世界一おいしい日本酒を造りたい、それだけです」と。
名酒「獺祭」が生み出された背景
「獺祭」が誕生する以前、現会長・桜井博志さんが父親から社長を継いだ1984年の旭酒造は、廃業寸前まで売り上げが落ち込んでいた。そんな状況を打破すべく取り組んだ地ビール醸造やレストラン経営などの新規事業も失敗。さらに、そんな会社の危機に先行きを案じた杜氏までもが酒蔵を去っていったのだ。絶体絶命である。
「当時、地元をメインの市場に普通酒を売っていましたが、思うように売れませんでした。ライバルの酒蔵も売れ行き不振から次々に安い値段で酒を売っていき、ジリ貧状態に陥っていました。そんな中、なぜ売れないのかを突き詰めて見出したのが、"酔うための酒ではなく、味わう酒"。つまり、必要なのは"味への追求"なのではないか、ということでした。そうして導き出した答えが"大吟醸酒"だったのです」
しかし、酒造りの責任者である杜氏がいない。それでは"大吟醸酒"どころか普通酒さえ作ることができないと考えるのが普通だが、現会長・桜井博志さんは「自分たちで造ろう」と決断。ここから、前代未聞とも言える"杜氏に頼らない酒造り"が始まる。
「酒造りの素人ばかりですから、わからないことばかりです。ですから最初は、まず"わかること"を視覚的にデータとして羅列していき、残りの空白部分である"わからないこと"を埋めていくという作業を試行錯誤しながら進めていきました。それがAIや機械を取り入れた現在の製法につながっていったのです。手作業がいいところは手作業、機械がいいところは機械と、常に"味を最優先する"という考えを念頭に適した製法を追求していったのです」
そうした製法は、手間がかかる大吟醸酒のみを造ること、一年通じて変わらぬ味わいの醸造を行うことなど、結果的に杜氏がいた頃には不可能だと言われていたことをも可能にした。
「1990年に精米歩合が50%の『獺祭』を発売。さらに92年には看板商品とも言える23%の『獺祭 純米大吟醸 磨き二割三分』が生まれました。それから、これまで同様に地元の酒店をメインに営業を始めたのですが、味こそ評価されるものの思うように売上は伸びませんでした。そんなとき、東京では名酒にこだわった居酒屋が多くオープンし始めており、高価な値段の日本酒も置いていたことから、純米大吟醸である『獺祭』のウケもよかったのです。それが販路の拡大につながりました」
今なお、社長を含むスタッフたちは週に2回集まり、全員で「獺祭」のテイスティングを行っている。味に少しも差異が出ないよう、常に美味しい獺祭を提供できるように――そんな尽きない"味への追求心"こそが、獺祭ヒットの最大の秘訣なのだ。
世界中で美味しいと言われる日本酒を目指して
今年2月、「獺祭」における国内外の売り上げが初めて逆転。海外の売り上げが、国内の売り上げを超えたのである。「やはり世界的に日本酒ブームなんですね」と言うと、桜井社長からは「いえ、ブームが来ているとは思っていません」と思わぬ回答が返ってきた。
「社長を継ぐ前、私はニューヨークをはじめ海外全般の営業を担当しており、以前から海外進出を大きな目標として掲げてきました。そのように長年にわたり海外を見てきたからこそ、いくら日本酒ブームと言われていても、まだまだ海外の大勢の方々が日本酒に関して"よくわかっていない"という厳しい状況も身にしみて感じています。しかし、"まだまだブームが来ていない"ということは、市場としての価値もまた、まだまだ未知数だと言えます。今後も、海外での酒造りや有名レストランとの提携などを通じ、ワインやビールのように、きちんと日本酒を飲む土壌を海外につくっていきたいですね」
最後に「今後の展開が楽しみです」と伝えると、「もちろん"世界中で売り上げを伸ばしたい"というのはあるのですが、正直言うとそれよりも"世界中の人に美味しいって言ってもらいたい"という想いの方が強いかもしれません」と桜井社長は笑う。そんな社長の目には、海外のテーブルで当たり前のように注がれる「獺祭」の近い未来の姿がしっかりと映っているように思えた。