節約家で料理上手の弁護士・シロさんこと筧史朗(西島秀俊)と、面倒くさいお客さんもうまくさばく気配り美容師のケンジこと矢吹賢次(内野聖陽)。ふたりの愛の共同生活を描く『きのう何食べた?』(原作:よしながふみ 脚本:安達奈緒子)。繊細な線で描かれた夢の二次元世界を、西島秀俊が内野聖陽がみごとに三次元に立ち上げた。彼らの俳優の力を称えるレビュー、前編・任務遂行が似合う西島秀俊に続いて内野聖陽編です。
内野聖陽演じるケンジは頭の先から爪先までチャーミング。当初、マンガのケンジのあの風貌と内野は違うんじゃないかと懸念もあったが、ふたを開けて見たらケンジにしか見えないと高評価。内野の役への取り組みの賜物で、とりわけ賞賛したいのが、カラダの線(とくに足)をマンガみたいになめらかなゆるやかな弓なりにするところ。マンガではキャラクターのシリアス面とコミカル面を描きわけるとき、キャラの等身を変えたり、線を省略したりして雰囲気をがらりと変えることができる。生身の人間にはそれは無理……なはずだが、内野聖陽はあたかもゴムのように変形できる能力をもった生物のように軽やかに振る舞う。
例えば、第7話の美容室の場面での歩き方。腿の裏側(ハムストリング)から膝裏まできれいに沿って見える。人間は骨と関節でできているのでマンガのように体を弓なりに見せるには関節がよっぽど柔らかくないと難しい。絶対ゴツゴツしてしまうはず。内野演じるケンジはバレリーナの優雅さみたいなものが髭面でガタイのしっかりした人物に備わっているそのギャップがまた魅惑的なのだ。
第4話ではベランダから洗濯物を取り込んで入ってくる動きに目を見張る。特別なことではなく当たり前にこういうことを繰り返してきた人のように見えつつ、しっかりケンジらしい、肩をすくめて脇をしめて敏捷に動く感じがよく出ていた。
2.5次元ではなく3次元の芝居
かつて、映画『悪夢のエレベーター』(09年)に出たとき内野は、髪をジェルで固めるワンカットのために自宅で整髪ジェルを3本使って練習したと、監督の堀部圭亮が証言していた。ほかにも、こんなことも。
堀部「役に対する取り組み方、集中力が抜群。すべてにおいて役の目線で考えられる方だし、どんなに長いカットでも、その集中力が途切れる事がない。そして、常に身のこなしが美しいと感じました」(拙著『挑戦者たち トップアクターズルポルタージュ』より)。
また、大河ドラマ『真田丸』(16年)では徳川家康を演じ、後半太鼓腹に肉体を仕上げていった。あのまあるいお腹とケンジのピッチピチのパンツを履いたウエストの差ったらない。
おそらく、今回『きのう何食べた?』に取り組むにあたっても内野はマンガを読み込みケンジに身も心も近づいていったことだろう。そこから獲得したまんがチックなケンジの動きのなめらかさは、ケンジの精神性の現れであり、マンガではなくリアリティーでもある。だから、内野の芝居は、マンガと現実の間の2.5次元ではなくれっきとした3次元だ。
内野聖陽のハムストリングの柔らかさはケンジの心の柔軟さ。ケンジは、店の面倒くさいお客さんともうまく話を合わせ、機嫌をとることができるし、人に気を遣わせない程度の軽く、でも気の利いたプレゼントをしたりするその匙加減のうまさをシロさんに感心される。やたら素直でシロさんを全力で愛していて、シロさんの作るものをなんでも美味しい美味しいと食べる。こういう人だから、やたらと生真面目でキッチキチのシロさんとバランスがよい。ケンジのおかげでシロさんが少し楽になるのだと思う。
なんにでもなれる俳優・内野聖陽
形状記憶マットのようにしなやかな内野聖陽のこれまでの俳優人生を簡単におさらいしてみる。内野聖陽は、日本の劇団の老舗・文学座出身。演劇界で頭角を現しつつ、朝ドラ『ふたりっ子』(96年)のヒロインの相手役(1回結婚するも、将棋の道を互いに極めるために離婚し、その後も最高の好敵手として生きていく)で、いわゆるお茶の間に浸透。映像の世界にも進出していった。『エースをねらえ!』(04年)の宗方コーチというこれまた少女漫画でしか成立しないような夢のキャラクターをみごとに演じきったこともある。
テレビ朝日の警察もののひとつ『臨場』(09、10年)では粗野に見えて実はすごく愛情深い検視官を、激しい鼓動が聞こえてくるような、毛穴から捜査に対する情熱が溢れ出しているように演じた。内野聖陽は植物の呼吸でむせかえる熱帯植物園みたいな感じなのだ。NHKで放送していた4K時代劇『スローな武士にしてくれ』(19年)もスターにはなれない大部屋俳優の悲哀がじわじわと溢れていた。これは殺陣が巧い設定の役でこれもきっとトレーニングを積んだに違いない。とにかく徹底的に身も心も役になりきり、でもそれを自分の口からはあまり語らないところがまたかっこいい。
『きのう何食べた?』の7話では、ケンジがシロさんが好みのタイプ(『シティハンター』の冴羽獠)だったことが明かされた。そこから改めて4話のシロさんとケンジの出会いのエピソードを見返すと、出会った瞬間及び再会した瞬間の内野の表情が傑作。そうか、そう思っていたのかと思うとニマニマしてしまう。ほんとうにケンジが生きている人物のようで、4話と7話の撮影の間に、内野聖陽に戻っているとは思えない。もうずっとケンジが生きているみたい。 名優・内野聖陽、なんにでもなれる俳優と思う。冴羽獠もやれそうな気がする。いや、冴羽獠も似合いそう。
なんにでもなれるがひとつだけいつもどうしても消せないものが……。 ダダ漏れの愛情である。
■著者プロフィール
木俣冬
文筆業。『みんなの朝ドラ』(講談社現代新書)が発売中。ドラマ、映画、演劇などエンタメを中心に取材、執筆。著書『挑戦者たち トップアクターズ・ルポルタージュ』『ケイゾク、SPEC、カイドク』、ノベライズ『隣の家族は青く見える』『コンフィデンスマンJP』 など。5月29日発売の蜷川幸雄『身体的物語論』を企画、構成した。
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