東京オリンピックの開会式まで残り500日を切り、各地で熱の入ったイベントが開催されている。東京証券取引所では3月30日、31日の両日、オリンピック・パラリンピックの競技を疑似体験できるイベント「東京2020 Let's 55 ~レッツゴーゴー~」が催され、たくさんの家族連れで賑わった。
本稿ではJAL(日本航空)による「フェンシングVR体験会」ブースの模様、柔道の吉田秀彦さんらオリンピアンを招いたトークセッションの模様などをお伝えしていこう。
VRにより、フェンシングが身近に
日本最大の金融商品取引所の中に、オリンピック9競技・パラリンピック7競技の体験ブースが用意された。東京2020大会のオフィシャルエアラインパートナーを務めるJALのブースでは、フェンシングを疑似体験しようと子どもたちが列をつくった。日本航空 コミュニケーション本部の中屋有貴氏に話を聞いた。
「フェンシングはJALが協賛するスポーツのひとつです。普段、なかなか触れる機会のない競技なので、誰でも気軽に疑似体験できるVRというカタチで用意しました」(中屋氏)。JALでは、羽田空港でもVRを活用した同様のイベントを実施しており、これまでもフェンシングの普及に積極的に取り組んできた。中屋氏は「これをきっかけに、子どもたちにも関心を持ってもらえたら嬉しいですね」と笑顔で話す。
筆者もヘッドセットを装着して、手にはリモコンを持ち、いざコンピュータと対戦した。サーベルが相手に当たれば色が変わり、手のリモコンにも振動が伝わる仕組み。ところで対戦相手はスーツ姿で、その顔は見覚えがある。よく見てみると、2008年 北京オリンピック銀メダリストの太田雄貴氏だった。同氏は、このフェンシングVRの開発にも協力しているという。筆者がブースを訪れた30日の14時の時点で、参加者はすでに200名に到達していた。30日、31日ともに開催時間は10時~17時まで。両日で、相当数の子どもたちがフェンシングを疑似体験できたことだろう。
サプライズゲスト、トップ選手によるデモも
開会式では、東京2020組織委員会 事務総長の武藤敏郎氏が東京証券取引所の鐘を高らかに打ち鳴らした。オリンピアンや、東京2020マスコットのミライトワ・ソメイティが登壇し、セレモニーに華を添えている。
バレーボール体験会には、元全日本男子代表の大竹秀之さんがサプライズで来場。身長208cmの大きな身体に驚く子どもの姿があった。会場では野村ホールディングスの提供によるミニクラシックコンサートも実施。また、東証の4階(中庭)に設置されたBMX(バイシクル・モトクロス)のコースでは、国内トップ選手の丹野夏波さんがデモ試走を披露してくれた。
会場内に設置された競技体験ブース(協賛企業・団体)は、以下の通り。
- シッティングバレーボール(野村ホールディングス)
- スポーツクライミング(三井不動産)
- 車いすバスケットボール(JTB)
- 陸上競技(車いすレース)(凸版印刷)
- 野球・ソフトボール(JXTGホールディングス)
- ボッチャ(明治)
- 体操(日本体操協会)
- 自転車競技(レース)(KNT-CTホールディングス)
- 5人制サッカー(味の素)
- 空手(全日本空手道連盟)
- 自転車競技(BMX)(日本自転車競技連盟)
- バレーボール(日本バレーボール協会)
オリンピアンが栄光を振り返る
講演会場では、荻原次晴さん(スキー)の司会による、中田久美さん(バレーボール)×吉田秀彦さん(柔道)のトークショーが開催された。現在、バレーボール女子日本代表チーム監督を務めている中田久美さん。これまでのアスリート人生を振り返り「中学1年生のときにバレーボールをはじめてから40年以上、この競技に携わっています」と自己紹介する。オリンピックには1984年のロサンゼルス、1988年のソウル、1992年のバルセロナと3大会連続で出場したが「バルセロナでメダルが獲れなかったのが本当に悔しかった。負けて泣いたのは、あのときだけです。いまも悔しさしか残っていません」と話した。
そのバルセロナで金メダルに輝いたのが吉田秀彦さん。そもそも柔道との出会いを聞かれると「小学生の頃は、授業参観日なのに先生に怒られて職員室の前で正座させられるような、相当な悪ガキだったんです。竹やぶのタケノコを全部引っこ抜いたりね。小学4年生のときに親父に無理やり柔道をやらされたのが、競技人生の始まりでした」と明るく笑う。
中田さんが「バルセロナの選手村で古賀稔彦さん、吉田秀彦さんを見たとき、2人とも悲壮感が漂っていて声もかけられませんでしたよ」と話すと、吉田さんは「試合10日前の練習で、古賀さんを怪我させてしまって。だから自分が金メダルを獲っても、翌日に古賀さんが金メダルを獲るまでは喜べなかったんです」と秘話を明かした。
「メダルを獲って帰国すると、空港では別室に案内されて記者会見をします。だからバルセロナのときは天国だった。逆にアトランタで負けて帰ったときなんか、空港で"あなたはメダリストではないのでそのまま通過して、早く帰ってください"と言われているようで、寂しくて辛かったですね」と吉田さん。すると荻原さんもすぐに同調し、「1992年のアルベールビル冬季オリンピックで、兄の荻原健司が金メダルを獲ったんです。そのとき、帰国便が一緒になっちゃった。空港では報道陣にもファンの方々にも双子の兄と間違われて、もう散々でしたよ」と苦笑いした。
荻原さんは「2020年のオリンピックを日本に招致したい、と尽力していた人たちは皆さん、1964年の東京オリンピックを経験した人たち。子どもの頃、"何かすごいものが日本に来るぞ"という思いをしたんですね。あのオリンピック体験を現代の若者にも味わって欲しい、そんな情熱が招致活動につながった。だからいまの子どもたちも、2020年大会を通じて、何かそういうものを感じてもらえたら嬉しいですね」とまとめた。
最後に、来場した小学4年生の女の子から「オリンピックやスポーツで必要なことは何ですか」という質問があがる。中田さんは「失敗を恥ずかしいと思わないこと。何かに挑戦するとき、はじめは必ず失敗します。それを恐れず、勇気を持って頑張り続けることだと思います」。吉田さんは「仲間を大事にすること、そして自分が楽しみながら競技すること。そうすれば、自然とその後もスポーツを続けていくことができます」と回答していた。