――顔採用、はじめます。

1825年創業の老舗化粧品メーカー「伊勢半」が、突然こんなことを言い出した。

「顔採用」と聞くと、就職活動において「容姿の良さ」を評価の対象とする採用を思い浮かべる人が多いだろう。化粧品メーカーとはいえ、そんな採用方法を用いて大丈夫なのだろうか。

また、なぜそんな採用を始めたのか、理由も気になるところだ。美男美女を集めて社内アイドルユニット「ISH48」でも結成するのだろうか。

伊勢半 総務本部 人事労務部 部長の隅田靖氏と伊勢半 開発本部 デジタルマーケティング・広報宣伝部 課長の松本智子氏に話を聞いた。

画一的な就活スタイルでは個性をアピールしにくい

松本氏「我々が打ち出した顔採用は、容姿で判断するものでもなければ、メイクの技術などで判断するものでもありません」

どうやら伊勢半が実施するのは、世間でイメージされるような顔採用とは異なる採用方法のようだ。つまり「ISH48」の結成が目的だったわけではない。では、いったいどのような採用方法なのだろうか。

伊勢半 開発本部 デジタルマーケティング・広報宣伝部 課長の松本智子氏

隅田氏「顔採用では、まず『私らしさ』を表現している写真を最大3枚まで提出していただきます。最低1枚は顔がはっきりわかるものでなければなりません。それとともに、200文字程度で自分らしさをアピールしていただきます」

その内容を元に選考が行われ、通過者は会社説明会に参加する。そのあとは、エントリーシート(ES)による書類選考、二次選考、SPI試験、三次選考、最終選考と、一般的な選考フローが続く。特設サイトから応募する方法に加えて、インスタグラムからの応募も可能だ。なお、採用対象の職種は商品企画職とデジタルマーケティング・広報宣伝職の2つである。

伊勢半 総務本部 人事労務部 部長の隅田靖氏

これだけ見ると、そこまで特異な採用フローではないように感じる。他社の新卒採用を見ると、リアル脱出ゲームを導入したり、ゲームのスキルを評価したりと、一風変わった採用方法を用いる企業は少なくない。「顔採用」という言葉も、すでに東急エージェンシーが2016年卒の学生を対象にした採用で使っている。そのときは、WEBカメラで分析した応募者の顔の特徴に応じて、「面接時間を5分延長」「ESの提出を1週間延長」といった特典を付与するというものだった。

隅田氏「我々は、何も取って付けたような取り組みをしようと考えているわけではありません。型にはまらずに、自分らしさをしっかりと表現できるクリエイティブな人材を募集したいと考えて、今回の顔採用を実施いたしました。商品企画職とデジタルマーケティング・広報宣伝職という2つの部門では、個性的で自由な発想が必要だと認識しています。しかし、昨今の学生の就職活動では、スーツや髪型、メイクから表情まで、画一的なものになりがち。やはり個性の表現が弱くなってしまうのです」

松本氏「伊勢半は190年以上の歴史を持つ化粧品メーカーです。顔採用という表現を使いましたが、大事なのはメイクの技術などではなく、そこに込められた想いや自分らしさの表現。すっぴんでも男性でも構いません」

自由な発想で表現できる学生を採用するために、顔採用という手法を選んだ伊勢半。たしかに、全員同じ黒のスーツで似たようなヘアースタイル、そして同じようなメイクをすることが多い現在の新卒採用の環境では、自分の個性を最大限にアピールできないのかもしれない。

隅田氏「やはり、身なりがきちんとしていると、思い切った自分を出しにくいという影響はあるでしょうね。例えば社会人になってからも、ネクタイをしているかしていないかで、気持ちが切り替わることがあるようなイメージです。ただ、【自由な服装で来てください】と案内に1行書かれているだけでは、『自分だけ私服かもしれない』と不安を抱く学生も多いはず。なので、こちらがいかに真剣かを伝えることで、自分らしい格好で参加しやすい環境を作ることができるのです」

松本氏「実際に学生の声を聞いたところ、就職活動の服装について不自由を感じているという意見が多数ありました。今回の取り組みがきっかけとなって、自己を最大限アピールするために、自分らしい格好で面接に臨めるような就活の態度変容が起きればいいと思っています」

すでに「服装は問わない」と謳っている採用説明会は多い。だが、学生側からすると、「そんなこと言ったって、どうせみんなスーツで来るんでしょ」という疑心暗鬼が生まれてしまう。そこで、伊勢半は今回「顔採用をする」と大々的に宣言したわけだ。

ただ単に突飛な採用方法を導入しているのではなく、伊勢半の顔採用には、画一的な就活スタイルを打破し、学生が自分らしさをアピールできるよう、願いが込められていたのだ。

伊勢半に流れる“私らしさを、愛する”社風

また、今回の顔採用のキーワードでもある「自分らしさの表現」は、同社が展開する『KISSME』のブランドメッセージにも関連している。

松本氏「伊勢半のコーポレートブランドである『KISSME』では、『私らしさを、愛せる人へ。』というメッセージを掲げています。それを伝える活動として2018年には『あるべきってないべき』をコンセプトとしたプロジェクトを実施しました。『若いから~すべき』『女性だから~すべき』といった年齢や性別による『あるべき論』って、そもそもないべきだよねというメッセージを伝えるためのイベントです。今回はそれに続く第2弾のプロジェクトとして、顔採用という取り組みを実施しました」

2018年に実施した『KISSME』プロジェクトの第1弾の様子

2018年からスタートした『KISSME』プロジェクト。第一弾の『あるべきってないべき』では、渋谷109前で106名の女性によるキスアートを展示した。

松本氏「なので、採用活動に限らず、引き続きこのメッセージは発信していきますし、より多くの人が自分らしさを愛せるように、化粧品メーカーとしてこれからも応援していきたいですね」

隅田氏「今回は顔採用という形を取りましたが、自分らしさを表現することは我々のエッセンスと言いますか、コアの部分でもあります。なので、そこは一貫した選考基準として持ちつつ、自分らしい格好で面接に来てくださいと発信していくつもりです」

とはいえ、“顔採用”という言葉自体にネガティブなイメージを持つ人もいるだろう。社内で反対の声はなかったのだろうか。

松本氏「ほとんど反対はありませんでした。コンセプトと言いますか、企画自体はすぐに合意が取れ、コピーの部分では少し心配の声も上がりましたが、ちゃんと趣旨を説明したらすんなり決まりましたね」

隅田氏「そうですね。就活メイクが一辺倒になりつつある状況に対して、自分らしさを出すような就活が一般的になるように取り組んでいきたいという想いを伝えたら、そこまで時間はかかりませんでした。会社としても、自分らしさの表現を後押ししていく必要があることを、多くの社員が感じていたのも大きかったでしょう」

伊勢半社内では、ブランドメッセージが社員までしっかり浸透している。だからこそ、一歩間違えればネガティブなイメージを与えかねない“顔採用”というインパクトのあるメッセージについても、納得してもらえたのだろう。

プレエントリーが昨年の2倍に! 顔採用を通じて共感が広がる

2019年3月1日に掲載された新聞広告

面接では自分らしさを表現してほしい。そして、ブランドとしてもそのような人を応援したい。そんな想いのもとで伊勢半が実施した顔採用。2019年3月1日に日本経済新聞朝刊に一面広告を出すと、SNS上でも大きな反響を呼んだ。

松本氏「具体的な数字はお伝えできませんが、想像以上のご応募がありました。どこまで行くんだろうと思うほどの伸びでしたね」

隅田氏「募集開始の前日は、本当に応募があるのか不安でいっぱいでしたが、多くのご応募をいただきました。また、それは顔採用に限らず、ほかの募集職種についても同様です。今回、新卒採用で募集したほかの職種について、プレエントリー数をトータルすると、昨年の2倍まで増加しました。学生さんのなかにも画一的な就職活動に疑問を持っている人がいるという認識はしていたので、共感していただけたのかもしれません」

正確な因果関係はわからないが、おそらく同社の顔採用という取り組みから、「自由な発想が求められる会社である」と好意的に受け取った学生が多かったのだろう。今後、同様の採用方法がほかの職種や中途採用などに広がっていく予定はあるのだろうか。

隅田氏「今回の結果を見てみないと、なんとも言えませんね。ただ、いまは、我々社員も変わっていかなければいけない状況です。遊び心を大事にしながら、型にはまらず新しいものを取り入れて、自由な発想で仕事をしていけるように取り組んでいる最中。そこで一緒にやっていく仲間を募るのが、採用というものですよね。なので、顔採用という形をとるかどうかはわかりませんが、我々が大事にしているハートの部分は引き続き伝えていきたいと考えています」

『KISSME』ブランドの主力商品の1つである『ヒロインメイク』は、新卒の社員が考案して、自ら社長プレゼンまで持っていき、商品化を実現したものだという。そのように新しい発想を尊重する同社には、どんな同志が加わり、そしてどんな活躍をするのだろうか。もしかすると数年後、「顔採用で伊勢半に入社した新人の企画した商品」が、一大ブームを巻き起こしているかもしれない。

(安川幸利)