イチローは常に「常識」や「固定観念」と戦ってきた。2000年シーズンオフ、シアトル・マリナーズへのメジャー移籍の際には、「パワー不足だから、日本人野手は通用しない」などといった声も聞かれた。
しかし、マーク・マグワイア、サミー・ソーサ、バリー・ボンズらがホームラン数を競っていた当時のメジャーにおいて、"魔法の杖"とも例えられた華麗なバットコントロールとスピードで、メジャーリーガーを圧倒するイチローの姿は衝撃を与えた。実際にイチローは、メジャー1年目の2001年オールスターには、両リーグを通じてのファン投票最多得票で選出されている(その後、2003年までファン投票最多得票で選出)。
2004年には1920年にジョージ・シスラーが記録したシーズン最多安打(257本)を更新し、2010年には前人未踏の10年連続200本安打を記録した。
日米通算4257安打達成後には、「僕は子どもの頃から人に笑われてきたことを常に達成してきてるという自負はある」「常に人に笑われてきた、悔しい歴史が僕の中にはあるので、これからもそれをクリアしていきたいという思いはもちろんあります」と話した。
そんなイチローは近年、「50歳現役」を度々口にしていた。2006年3月、民放BSにて放送された特別番組においてロックミュージシャン・矢沢永吉と対談した際、「僕は実は50歳まで現役でプレーする、しかもバリバリでプレーするというのが今の夢なんです。これは目標ではなくて大きな夢なんです」と明かしたイチロー。
いつしかそれは"目標"へと変わり、昨年のマリナーズ復帰会見では「よく『50歳まで』という話をされることが多いですけど、僕は最低50歳といつも言っている」とも。「年齢」という固定観念に挑んでいた。
そして迎えた3月21日、試合前の打撃練習では5本の柵越えが飛び出し、最後のスイングではスタンド上段まで運んだ。オープン戦から26打席ノーヒットと不振に苦しんでいたものの、打撃練習は衰えを感じさせないものだった。
しかし試合途中、「イチロー 第一線退く意向」とネットニュースの速報が流れた。試合中にもかかわらずスタンドからは大きなどよめきが起き、騒然とした空気に。そして球場にいたファンたちは「選手・イチローはこの試合が最後」という認識へと変化する。
現役最後の打席は、同点の8回表2死2塁、一打勝ち越しのチャンスという状況だった。スタンドのファンからの「打て! イチロー」「打ってくれ!」という叫びにも似た祈りの中、第4打席目を迎えたイチロー。4球目、5球目と難しいボールをカットしたものの、6球目を打ちショート前のゴロに。イチローは懸命に走ったものの、惜しくもアウトとなった。
直後の8回裏。イチローは一度守備に就いたもののも、サービス監督が交代を告げた。ベンチへと戻るイチローに対して、ファンは総立ちとなり、悲鳴にも似た歓声が飛び交った。また、チームメイトたちもベンチ前で出迎え、1人1人がイチローと抱き合った。
試合終了後、ファンの多くは帰らずにスタンドに残り、自然と「イチローコール」が巻き起こる。その声に応えるかのようにイチローは再び姿を見せ、球場を1周し、別れを告げた。
結果的に「50歳現役」は実現しなかったが、試合後の会見でイチローは「今日のあの球場での出来事、あんなもの見せられたら後悔などあろうはずがありません」と語った。
そして会見では「最低50までって本当に思ってたし。でもそれは叶わずで。"有言不実行"の男になってしまったわけですけど」と表現し、「でも、その表現をしてこなかったら、ここまでできなかったかもなという思いもあります。だから言葉にすること。難しいかもしれないけど、言葉にして表現することは、目標に近づく1つの方法ではないかなと思っています」と話した。