SHIRASE 5002が宇宙船に
今回の実験にSHIRASE 5002を選んだ理由として、村上さんは「日本国内にあること」、「文明からほどよく隔離されていること」、「宇宙船や宇宙のようなシチュエーションを簡単に作り出せること」の、大きく3つがあったと語る。
前述のように、村上さんは過去に、南極や米国の砂漠で模擬火星実験に参加した経験から、同じような実験を日本でも、そしてより頻繁にやりたいと考えたという。
しかし、日本には氷の大地や広大な砂漠はない。こうした実験を行うためには、実際の宇宙のように、ある程度文明から隔離された、リアリティのある環境が必要だという。村上さんは「リアルがあるから真剣に活動できる」と語る。
その点SHIRASE 5002は、退役した船とはいえ海に浮かんでいるため、陸からは物理的に離れている。また、船内を宇宙船に見立てることができ、おまけに機関室のような無機質な空間もあり、火星のようなシチュエーションを作り出せる。くわえて、船は金属の塊なので、船内は携帯電話の電波が届きにくい(実際、筆者の携帯電話も圏外になった)。
さらに、過去に実際に使われていた船なので、部屋や機材などを最大限活用することができる。実際、この実験のために行われた改修といえば、あるエリアを立ち入り禁止にしたり、窓を塞いだり、壁を作ったりといっただけだという。
そしてなにより、日本に係留されているので、わざわざ南極や米国の砂漠に行かなくても、頻繁に実験ができる。
文明からほどよく隔離され、それでいて既存のものが活用でき、ゼロから準備する必要がない。そんな絶妙なバランスが、このSHIRASE 5002にはあったのだという。
ちなみに、今回の模擬宇宙生活実験には「SHIRASE EXP. 0」という英語名がついているが、このSHIRASEは、船の名前であると同時に、「Simulation of Human Isolation Research for Antarctica-based Space Engineering」の頭文字でもある。
実験の目的と、意外な狙い
今回の模擬宇宙生活実験は、「EXP. 0」とナンバリングされていることからもわかるように、どちらかというと実験のための実験、すなわち、SHIRASE 5002を利用した模擬宇宙生活実験が成立しうるのかを確認することを目的としている。
村上さんによると、今後2021年にEXP. 1と2を連続して、また2022年にはEXP. 3と4を連続して行う計画で、2020年にはクルーの公募も行うという。
連続して実験することで、たとえば男性だけのチームと女性だけのチームとの違いや、日本人だけのチームと外国人を含むチームとの違い、お酒が飲めるチームと禁止したチームとの違いといった比較を行うことを目指しているという。
村上さんは、こうした実験の目的を「本音や弱音といった生の声を聞く」ことにあると語る。
村上さんが過去に参加した火星生活実験では、終了後の記者会見において、参加したクルーが「また参加したい」などと答えることが多かったという。しかしそれは、次の実験や宇宙飛行士の選抜への影響を考えた、あるいはメディアや世間にいい格好をするための「嘘」であり、実際の実験中には弱音が漏れることが多かったという。
宇宙で人が本当に暮らせるかどうか、まだわからないことが多い以上、弱音を吐いてくれないと課題は見出せない。そこで、そうした弱音を聞き、問題点を洗い出すために、今回の実験を企画したのだという。「今回のクルーも、"宇宙に行きたい人"はあえて選ばなかった」とし、生の声を聞くことに重点を置いたという。
また今回の実験には、JAXAなど宇宙機関からの興味が集まっているという。
たとえば前述のような「お酒を飲んだらどうなるか」という実験は、クルー同士の関係が円滑になる可能性がある一方で、逆に関係が悪化したり、他の別の問題が起こったりする可能性もある。そのため宇宙機関は、最悪の事態を考え、こうした実験が行われることはない。実際に宇宙飛行士の命を預かっていること、税金で運営されていることなども根底にはあるのだろうが、とにかく保守的であり、新しいことや変わった実験は禁止する方向にある。
しかし、民間の団体が地球でやる分には問題なく、お酒を飲むといったような冒険的な実験も自由にできる。そのため、むしろ宇宙機関の側から、知見やノウハウの提供などの声が寄せられているのだという。
スペースXによるスターシップの開発の動きと合わせると、その実現を加速させることになるのでは? そして村上さん自身も火星に行けるようになるのでは? と話を振ったところ、村上さんは「私自身は別に火星に行きたいわけではありませんし、むしろ、いま進んでいる、"性急な有人火星飛行計画"にブレーキをかけたいんです」という回答が返ってきた。
村上さんは、まさにスペースXが計画しているような、早くロケットや宇宙船を造って火星に行こうという風潮を危惧しており、こうした実験を通じて、人が宇宙で生きることの難しさを、多くの人にあらためて認識してもらうとともに、その解決策を考え、より安全で、そして快適な形で宇宙飛行を実現できるようにしたいという。
かつて「宇宙よりも遠い場所」へ赴いた船を使った、「南極よりも遠い場所」を目指した今回の実験は、はたしてどんな未来へつながっていくのだろうか。
出典
・SHIRASE5002活用事業 | 一般財団法人 WNI気象文化創造センター
・Shirase exp. - FIELD assistant | 特定非営利活動法人フィールドアシスタント
・Directors - FIELD assistant | 特定非営利活動法人フィールドアシスタント
・村上祐資 | Yusuke Murakami Official Website
・SHIRASE
著者プロフィール
鳥嶋真也(とりしま・しんや)宇宙開発評論家。宇宙作家クラブ会員。国内外の宇宙開発に関する取材、ニュースや論考の執筆、新聞やテレビ、ラジオでの解説などを行なっている。
著書に『イーロン・マスク』(共著、洋泉社)など。
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