長年会社に勤めてきたサラリーマンも、30代、40代になると「自分の人生、このままでいいのだろうか……」なんて、ふと立ち止まって考えがち。このまま会社員として日々を送って行くか、それとも独立して自分の生き方を貫くか。悩んでいる人も決して少なくないはず。そんな人生の岐路に立ったときに、知ってほしい男がいる。
“パンイチ”のパフォーマンスでライヴハウスを中心に活動するミュージシャン、スギムのソロユニット「クリトリック・リス」。広告関連会社の部長職にまで出世したエリートサラリーマンにして、36歳から音楽活動をはじめ、42歳に会社を退職してからは音楽のみで生活している彼は、2019年4月20日、アラフォーにして初めて日比谷野音でワンマン・ライヴを行う。安定した会社員生活から野音ライヴへと辿り着いた彼の話からは、きっと悩み多き中年サラリーマン世代にとって、砂金のように輝く言葉が見つけられるはずだ。
音楽を作るようになったら、仕事のことを忘れられた
――スギムさんは、現在おいくつですか。
現在49歳で、今年10月末に50歳になります。
――ご結婚もしていらっしゃるんですよね。
はい、結婚していて、大阪在住です。自宅のマンションは、サラリーマン時代にローンを組んで買ったんですけど、ローンを完済して、脱サラしてクリトリック・リスの活動に専念するようになったんです。かなり、前倒しでローンを返したんですよ。やっぱり、足かせみたいなものがない中で、自由に活動したいなと思っていたので。とりあえず、何かあったら自分の持ち家も売らなければいけなくなるような状況になるかもしれないし、そういうときにローンが残っていたら困るので、そこは完済してから、音楽一本で行こうと決めていました。
――36歳で音楽活動を始めたということですから、14年目となるわけですよね。そもそも、マンションが購入できるほど安定していたサラリーマン生活を捨てて、どうして音楽活動を始めたんですか?
僕は、大阪で割と歴史の古い広告関連会社に勤めていたんですけど、36歳のときに課長に昇進したんです。そのときに、それまでの自分の営業業務も継続して、部下の指導もしなければいけなくなって、極端に仕事量が増えたんですよ。終電で帰れない日が続くようになって、仕事が終わったら会社近くのバーに行って飲んで、奥のソファーで寝かせてもらって、翌日出勤するという生活が始まったんです。そのバーに夜な夜な入り浸っている中で、常連のお客さんとバンドを組もうという話になって。その話に乗ったのがきっかけです。
――聞くところによると、ライヴ当日にメンバーにすっぽかされたのだとか?
そうなんですよ(笑)。初ライヴが決まって、いざライヴ当日に会場に来てみたら、他のメンバーがいなくて、1人でステージに上がらないといけない状況になったのが、はじまりです。
――やけくそになって、パンツ一枚で歌ったんですか?
そうです。今とやっていることは、ほとんど変わらないですね(笑)。音楽的には、成長したんですけど、見た目とかライヴのスタイルとかは、ほとんど変わっていないです。
――もしも、そのときにメンバーが来て普通にバンドでライヴができていたら、どんな感じになっていたんでしょうか。
僕だけが素人で、他のメンバーは音楽経験があったので、割とキチンとした、当たり障りのない音楽になっていたと思います。それが、何の経験もないハゲのおっさんが半ばやけくそでパンイチになって人前でガムシャラに何かをやっている、というのが、思いのほか、お客さんに響いたというか、珍しかったんやと思います。今まで見たことがないという。そういうことで、たった1回のライヴをきっかけに、オファーが来るようになったんです。クリトリック・リスという名前で丸坊主にパンイチっていうのが1つのアイコンとなって覚えてもらいやすかった。それも大きかったと思います。ライヴハウスのスケジュールを見て、「またクリトリック・リスが出てる! 何者なんだろう? 」って、口コミが広がって行ったんです。
――初めてのライヴのときって、30分くらいの持ち時間を1人で歌っていたんですか?
いや、30分もやれなかったです。キツイお酒をかなりあおっていたので、何も記憶にないんですけど(笑)。リズムマシンを流しながら、僕の日常の鬱憤や過去のトラウマの話だとかを、リズムに合わせて歌おうとしたんですけど、リズムに乗り切れてなかったんで、ラップには程遠く、これは何なんだ? という妙なグルーヴが生まれていたと思うんです。全然やりきれてもいないけど、なんかやろうとしているっていう初期衝動が、すごく伝わったんじゃないですかね。
――そこにエモいものがあったんですね。
酔っ払ってて覚えてないんですけど(笑)。でも、初期の頃から、面白いという声の他に、「泣ける」っていう感想もあったんですよ。歌の内容自体も笑かそうと思っていたわけではなくて、日常でつらかった事や悲しかった事も歌詞にしてたので。ガムシャラなところとか、単にお笑いに走っていなかったことも、共感を得たポイントじゃないかなと思います。
――なるほど、狙ってやってたらシラケていたかもしれないという。
今はガッツリ狙ってますけどね。
――(笑)。でも、「1989」という曲なんかを聴くと、すごく熱いですよね。
もともとコミックバンドみたいなことを狙っていたわけじゃなくて、純粋に音楽が好きだし、そこはお笑いじゃないな、とは自分の中にありましたね。
――ライヴのオファーが来るようになってから、本格的に音楽活動をしていこう、と思うようになって行ったわけですか。
いや、それは思わなかったですよ。それまでも音楽が好きではあったけれど、単なるリスナーで、音楽を聴いて仕事の効率を上げたり、通勤中に癒やされたりで、仕事の潤滑剤みたいな存在だった。それがクリトリック・リスの活動が始まって、音楽を自ら作って演るようになってみたら、音楽で仕事のことを忘れられるんです。仕事とは別のプライベートな時間が作れるようになった。これが趣味か! という感じでしたね。
音楽を仕事に結びつける発想はまったくなかった
――仕事がない土日にライブ活動をしていたんですか。
そうです。課長職なので、平日はいつどこで会議が入ったりお客さんに呼び出されたりするかわからなかったので。
――会社の人たちは、スギムさんがクリトリック・リスをやっていることは知っていたんですか?
もちろん知らないですよ。言えないですよ、それは(笑)。ライブにお客さんを呼ばないといけないんですが、バーや飲み屋で知り合った人を誘ってましたね。音楽的、パフォーマンス的にも未熟で、ハゲたパンイチのおっさんに一般のお客さんなんて付かないし。ストイックにやろうというよりは、打ち上げでお酒を飲んだりすることも含めてライヴが楽しかったので。一から音楽を学んで頑張ろう、というほどでもなくて、ライヴの前に1~2日準備の期間を作って、ライヴをして打ち上げをして、また月曜日から仕事を頑張ろう、というスタンスでした。
――本当に、ストレス解消をするための趣味という感じで。
そうです、そうです。
――社内で「音楽活動をしているらしい」という噂が立ったりはしなかったのでしょうか?
名前が名前だし、パンイチということもあって、部下とかまわりの人間にはバレないようにしてました。社内ならまだいいんですけど、管理職という立場になって、トラブルが起こって、取引先の会社に謝りに行かないといけないことが多々あったんですよ。そのときに、ライブハウスでいつもパンイチになって酒飲んで暴れてるクリトリック・リスが謝りに来るというのはさすがに箔が付かないので(笑)、取引先と競合会社には、特にバレないように、そこは細心の注意を払っていました。
――会社には隠していたけれど、活動がライヴハウス界隈には口コミで広がっていったわけですよね。徐々に音楽で食べていこうという考えになっていったのですか。
う~ん、そこはなかったですね。結婚してて生活も安定してたし、肝心の音楽が全然作れないし。それに、36歳ってバンドマンがみんな諦めていく年齢ですよね。そんな歳から始めたので、音楽を仕事に結びつけるという発想はまったくなかったです。
――それが、現在のように音楽活動に専念するようになったのはどうしてなんでしょう?
活動していくうちに、地元の大阪だけじゃなくて全国で呼ばれるようになったんです。活動範囲が広くなって、プロの人と同じステージに立てるような機会も増えていって。そんな中で、普段はサラリーマンをやっているという守りの部分を持ちつつ、プロの人たちと一緒のステージに上がっていることに、申し訳ないというか恥ずかしいというか。圧倒的なパフォーマンスの差も見せつけられたし、本気でそれを生活にしている彼らと比べて、後ろめたい気持ちも出てきたんです。そういう気持ちを感じるということは、僕自身が音楽の世界に足を踏み入れたいんだなって、自分の中でも意識するようになって。音楽を仕事にしたいというんじゃなくて、1年でいいので彼らと同じように、思う存分やってみたいという考えでした。それから、「退職したい」という話を上司に相談するようになりました。
――そのときに上司の方に「音楽をやりたい」ということを話したんですか。
音楽とは言わなかったです。「自分で店をやりたい」と言いました(笑)。上司も僕が酒好きなことを知っていたので、「居酒屋をやりたい」とか嘘をついて。でも、それを言ったときに、僕の将来のことなんか全然考えてくれていなかったですね。とにかく、お前の持ってる全ての業務を引き継ぐまでは辞めるなって。「お前のお客さんで安定した口座を確保して、部下を一人前に育ててから辞めろ」って言われたんです。それができるまでは辞表は受け取れないって。