オバマ前米大統領やGoogleの共同創立者セルゲイ・ブリンとラリー・ペイジ、Facebook創業者マーク・ザッカーバーグなど世界で活躍するリーダーや起業家たちが数多く受けていたことで知られるモンテッソーリ教育。最近では、将棋界の歴代最多記録を30年ぶりに塗り替えた藤井聡太四段も幼児期に受けていたことで注目を浴びた。
この教育の本質や魅力は何か? 駒沢女子短期大学名誉教授で、モンテッソーリ教育を実践している学校法人天野学園「愛珠幼稚園」(東京都世田谷区)理事長・園長天野珠子先生に聞いた。
一番の魅力は、自主性が育まれること
イタリア発祥のモンテッソーリ教育は、欧米では非常にポピュラー。公立私立を問わず、また幼稚園に限らず小学校から高校までモンテッソーリ教育を取り入れている学校は多く、必然的に選択肢の一つに入るという。インドやオーストラリアなどにも広まっており、日本では1965年「うめだ子供の家」(東京都足立区)から始まり、現在、幼稚園や保育園、幼児施設などをあわせると東京都内だけでも70園程度ある。
今年8月には日本モンテッソーリ協会(学会)第50回全国大会が東京・四谷で開催され、例年にない早さで定員に達し、学会関係者に加え一般参加も含めて過去最高となる950人を超える参加者があったというから注目の高さが伺える。
モンテッソーリ教育では、子ども自身に成長する力が備わっていると考えられている。「個人差はあっても、首が座っていないのに歩く子がいないように、発達の順番はあまり大きく変わりません」と天野先生は説明する。
子どもは成長の過程で特定の時期に特定のことに興味関心をもって、何度も繰り返すことがある。そのタイミングで関心に相応しい環境を与えることで集中することを経験し、自立につながっていくという。「自分が好きなことをとことん追求することができ、自主性が育まれるので、新たなことを生み出す経営者が多いのかもしれないです」と天野先生は話す。
日本のモンテッソーリ園では「お仕事」と名付けられたオリジナル教具の中から子どもが興味あるものを選んで遊ぶ。3~6歳の異なる年齢の縦割り保育のため、年下の子どもは年上の子どもから学んだり、年上の子どもは年下の子どもを教えたりすることが自然と根付いているそうだ。人を教えるためには、自分が完璧に理解していなければならず、子ども自身が復習をする良い機会にもなるという。
天野先生によると「5歳くらいになると相手に合わせた教え方ができるようになり、その時期に年下の子どもを教える経験は貴重」だという。そんな経験も、将来のリーダーとしての素地を育んでくれるのかもしれない。
家庭での育児に取り入れられることは?
モンテッソーリ教育は、家庭でも取り入れられるのだろうか?「教具は大変高価ですし、家庭でそろえることはお勧めしません」と天野先生。たくさんある教具の中から自分で好きなものを選んだり、友達が使っている様子を見て興味がわいたりすることで知的好奇心が育まれるため、集団の中で実践することにも意味がある。
ただ、教具には「日常生活の練習」という領域もあり、大工道具があったり、包丁で野菜を切ったりもする。つまり、生活の中で実践できることもあるのだ。同じ色や形、大きさなど2つで対になるものを"ペアリング"して区別することも良いそうだ。「具体的には、箸や靴を並べたり、飲み物をコップに注いだり、靴下を洗う、洗濯ものを畳むなど、子どもを一人の人格として尊重して役割を与えると良い」と天野先生。指や手首の動き、筋肉の動きはすべて脳の命令で動く。それを繰り返して練習するための教材は生活の中にも無数にあるという。
集団行動や協調性は育まれるのか?
モンテッソーリ教育で"好きなこと"に集中して追求できる幼稚園時代を経て、小学校へ進学後、一斉教育における集団行動が苦手になったり、協調性に欠けたりすることはないのだろうか? そんな疑問をぶつけてみると「全くありません。縦割り保育の活動の中で友達と関わり合い、自然に相手への思いやりの心が芽生えます」と天野先生は説明する。
「自由と規律はコインの裏表」というマリア・モンテッソーリの言葉にある通り、自由が許される環境があるから規律を守れるようになるのかもしれない。また、多くの園ではさまざまな形での集団活動も行われており、遠足や外遊び、リトミックの他、学年別で運動や歌、劇を披露する発表会などのイベントもあるそうだ。
モンテッソーリ教師になるためには資格が必要だが、理論を軸に日々子どもを観察し対面することで教師の側が学ぶことも多いという。「自主を重んじる教育なので決してパターン化はできません。地域性や情勢、子どもたちの特性に応じて、その園に適した形で工夫されているでしょう」と天野先生は続けた。
モンテッソーリ教育が人気を集めている背景には、なにかと不透明なことが多いこの時代に「前向きに生き、意欲や主体性をもって自分の目標に向かい、それを実現できる人に育てたい」という親の思いがあるのではないだろうか。
※画像はイメージ