トヨタ自動車の高性能スポーツカー「スープラ」が、実に16年ぶりに復活する。来年1月の北米でのデビューを前に、トヨタがプロトタイプの報道向け試乗会を開催したので参加してきた。気になるデザイン、スペック、走りを紹介する前に、スープラとはどんなクルマなのかについて、歴代の系譜を紹介しながらつづっていこう。

トヨタの新型「スープラ」プロトタイプ試乗会に参加した

日米で車名が違っていた理由

来年デビューする新型スープラは、グローバルでは通算5代目、日本では3代目になる。ここではグローバル基準で書いていくことにするが、なぜ日米で世代が異なるかというと、日本では初代と2代目が別の名前で呼ばれていたからだ。

もともとスープラは、トヨタのコンパクトなスポーツクーペ「セリカ」の上級車種として1978年に生まれた。そのためもあり、日本では「セリカXX」という名前だったのだ。

セリカにはトランク付きのクーペとリアゲートを持つリフトバックの2種類のボディがあったが、XXのベースとなったのはリフトバックだ。1.6~2Lの直列4気筒エンジンを積んでいたセリカに対し、XXは2~2.6Lの直列6気筒を搭載。5ナンバー枠内でホイールベースと全長を伸ばし、顔つきも変えていた。

当時、北米では日産自動車のスポーツカー「フェアレディZ」が人気で、Zの対抗馬として、同じ直列6気筒エンジンを積むクーペをトヨタが開発したのだった。ボディサイズは全長4,600mm、全幅1,650mm、全高1,310mmで、ホイールベースは2,630mmだった。

初代「セリカXX」から数えてグローバルでは5代目となる新型「スープラ」(画像)

もともと4気筒を積んでいたクルマのノーズを伸ばし、6気筒を積むことで高性能車に仕立てるという手法は、当時はプリンスというメーカーが販売していた「スカイライン」が1964年に実践するなど、いくつかの車種が行なっていた。

では、これがなぜ北米ではスープラという車名になったのかというと、当時のアメリカでは「X」の列記が映画の成人指定度合いを示していたため。トヨタはラテン語で「超えて」を意味する「スープラ」という車名をセリカXXに与えた。ちなみに、トヨタはラテン語を車名に起用することが多く、現行車種では「プリウス」「アクア」などが該当する。

2年後にはマイナーチェンジを行い、形式名が「A40型」から「A50型」に切り替わる。この形式名は4気筒のセリカと共通だ。最大の特徴は2.6Lエンジンから2.8Lへと排気量が増えたことと、リアサスペンションがリジッドアクスルから独立懸架になって、乗り心地とハンドリングがレベルアップしたことだった。

新型「スープラ」プロトタイプに書かれた「A90」の文字は、このクルマの型式名を表している

あの「ロータス」が開発に絡んだことも

このA50型をトヨタが販売していたのはわずか1年間で、続く1981年には4気筒セリカともどもモデルチェンジし、「A60型」となる。

セリカ・リフトバックをベースにノーズを伸ばし、直列6気筒エンジンを積むという成り立ちは初代と同一だったが、直線基調のスタイリングにリトラクタブル式ヘッドランプを組み合わせたこともあって、A60型はかなりスポーティな雰囲気になっていた。ボディサイズはやや大型化したが、まだ5ナンバー枠内だった。

2代目のニュースとしては、英国のスポーツカーブランド「ロータス」にサスペンションのチューニングを依頼したことが挙げられるだろう。そのことをアピールすべく、CMにはロータスの創始者コーリン・チャップマン氏を起用していた。

このコラボが契機となり、トヨタとロータスは翌年に資本提携を締結。ロータスが得意とするFRP(繊維強化プラスティック)技術をトヨタがSUVの車体に投入したり、トヨタのパーツを当時のロータスが使用したりという関係が生まれた。

エンジンが2Lと2.8Lであることは初代と同じだったものの、2.8LはDOHC(ダブル・オーバーヘッド・カムシャフト)となり、「GT」を名乗ることになる。2Lには途中でターボとDOHCが追加されている。5ナンバー枠が存在しない海外向けには、オーバーフェンダーを備えたグレードも存在していた。

3代目「スープラ」は高性能スポーツカーを志向

日本でもスープラと名乗るようになったのは、1986年に発表された3代目からだ。その理由としては、セリカが前年のモデルチェンジで、後輪駆動から前輪駆動に切り替わっていたことが大きかった。セリカの形式名は当時の前輪駆動セダン「コロナ」「カリーナ」(現在の「プレミオ」「アリオン」の前身)と同じ「T160型」となり、「A70型」はスープラが受け継ぐことになった。

3代目「スープラ」。この名前を日本でも名乗り始めたクルマだ

3代目スープラのプラットフォームは、同じ年にモデルチェンジしたラグジュアリークーペ「ソアラ」と共通になっていた。サスペンションはスポーツカーやレーシングカーの定番と言える「四輪ダブルウィッシュボーン」に変わった。初代は“セリカの6気筒版”という位置づけだったスープラだが、3代目からは高性能スポーツカーへスイッチしようとする意気込みがうかがえた。

エンジンは2L、2Lツインターボ、3Lターボというラインアップ。キャッチコピーの「トヨタ3000GT」は、1960年代の名車「2000GT」を思わせるものだった。レースやラリーへの参戦も始め、アフリカで開催された世界ラリー選手権のひとつ「サファリラリー」では総合3位に入ったこともある。

しかし、3Lターボエンジンの基本設計は1960年代に行われたものであり、旧態化が目立ち始めていたこともあって、1990年には新世代の2.5Lツインターボに切り替わった。排気量が500cc小さくなったにもかかわらず、最高出力は当時の日本車の自主規制値だった280psに達した。

リトラクタブル式ヘッドランプを受け継いだスタイリングは、2代目より落ち着いたものとなった。サイズは全長とホイールベースがやや短く、全幅はやや広くなった上に、3Lは日本仕様もフェンダーがワイドになり、3ナンバー幅になった。このワイドフェンダー仕様は後に、2Lツインターボでも選べるようになる。

スポーツ性を高めるべくダウンサイジング

4代目「A80型」は1993年に発表となった。ボディは全幅1,810mmという北米市場を重視したサイズになり、それに合わせてエンジンは自然吸気、ターボともに新世代の3Lのみになった。マニュアルトランスミッション(MT)がこれまでの5速から6速にバージョンアップしていたことも特徴だ。

さらに特筆すべきは、ホイールベースが2,550mm、全長が4,520mmと短くなっていたこと。どちらも歴代で最短だった。リトラクタブル式ヘッドランプを廃し、前後のフェンダーを豊かに盛り上げたグラマラスなスタイリングは、ほぼルーフの高さまでそびえるリアウイングがアイキャッチになっていた。

4代目「スープラ」はグラマラスなスタイリングに

そのキャラクターを証明するように、4代目スープラはレースへの参戦も多かった。国内の「スーパーGT」ではGT500クラスにエントリーして何度もチャンピオンに輝き、「ル・マン24時間」や「ニュルブルクリンク24時間」にも挑戦。北海道で開催された「十勝24時間レース」では、ハイブリッド仕様に改造されたマシンが総合優勝した。トヨタのハイブリッドカーとして、初めてレースに勝ったのが4代目スープラだったのだ。

こうした系譜を受け継ぐ5代目(新型)スープラについては、現時点ではまだ多くの情報が不明だが、直列6気筒の後輪駆動車という伝統を継承するため、トヨタはBMWとの共同開発という道を選んだ。ホイールベースはさらに短くなり、リアシートのない2人乗りになる。

トヨタとBMWが共同開発した5代目「スープラ」のプロトタイプ。2019年1月のデトロイトモーターショーで世界初公開となる

新型がどんなデザインでどんな乗り味だったかは次回、あらためて報告するけれど、歴代でもっとも走りに振ったモデルであることは間違いない。

(森口将之)