あす29日に放送されるフジテレビ系番組『直撃!シンソウ坂上SP』(19:57~21:54)では、2012年に亡くなった森光子さんの生涯に迫る。
1920年、京都の割烹旅館に生まれた森さんは13歳の時、両親が相次いで他界。歌手に憧れを持っていたが、生活のためにいとこで当時の日本を代表する時代劇スター・嵐寛寿郎を頼り、女優として芸能人生の第一歩を踏み出した。その後、歌手になるという夢を果たすために21歳で上京、27歳の時に日系アメリカ軍人と結婚するが、わずか1週間で夫はアメリカに帰国、音信不通となり離婚することになる。
その後、大阪で女優の仕事に復帰して舞台に立つが、与えられる役は常に脇役という日々が10年以上も続く。そんな森さんに転機が訪れたのは41歳の時。生涯をかけて演じ続けることとなる舞台『放浪記』と出会い、女優人生で初めて主役を務めることになったのだ。
『放浪記』の主演の座をつかんだ背景には、脚本・演出を務めた菊田一夫氏との、後に“奇跡の3分間”と呼ばれる運命的な出会いがあった。今回、1961年の舞台『放浪記』初演の年に、森さんが降板する危機に見舞われていたという新事実が、舞台でライバル役を演じた浜木綿子さんから明かさる。電話インタビューを行った坂上忍も驚いた、森さんの降板危機の真相とは…
『放浪記』以降、森さんはバラエティ番組にも進出し、萩本欽一の『欽ドン!』(フジテレビ系、1975~80年)などに出演。初めてファンになった芸能人が森さんだったという萩本が、当時の思い出や森さんをキャスティングした背景などについて語る。
さらに、53歳の時に生放送のワイドショー『3時のあなた』(フジ系、68~88年)の司会を担当。番組では、82年に2日連続して発生した「ホテルニュージャパン火災」「日航機羽田沖墜落事故」といった歴史的なニュースを森さんが伝える貴重な映像をふんだんに使用し、女優という枠にとらわれることのなかった挑戦を振り返る。中でも、森さんが田中角栄元首相と対談した後に、田中元首相が大粒の涙を流した、今も語り継がれる伝説のインタビューは必見だ。
森さんが48年間にわたって、一度も休演することなく、そして代役をたてることなく続けてきた舞台『放浪記』は、09年に前人未到の2,000回公演を達成し、翌年の再公演も決定していたが、森さんは10年公演の3カ月前に降板を発表。今回、番組では当時演出を担当していた北村文典氏にインタビューし、森さん降板の背景にあった真実を解き明かす。
さらに、滝沢秀明と共演し、森さん最後の舞台となった『新春 人間革命』の貴重な映像も特別に披露し、関係者などへの取材をもとに森さん「最後の2年間」の真相に迫る。
この日の放送では他にも、皇室秘蔵映像と共に天皇陛下と美智子さまの知られざる感動秘話を紹介。時と共にどんどん小さくなっていった美智子さまの帽子のサイズに秘められた思い、東日本大震災後の被災地・福島での除染作業中に天皇陛下が見せた驚きの行動、そしてカナダを訪問された際に子供たちを前に披露した美智子さまの歌声など、人柄がしのばれるエピソードとともに、平成の30年を振り返る。
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