『半分、青い。』の総集編が10月8日に放送された。ヒロインの楡野鈴愛は1971年生まれ。ちょうど団塊ジュニア(1971年から1974年生まれ)で、第二次ベビーブームに生まれている。ちなみに、いつもここで書いているロスジェネ(1972年生まれから1982年生まれ)とは一歳違いだ。
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バブル以降で就職氷河期以前
この頃に生まれた団塊ジュニアは、バブルは学生時代に横目で見ていて恩恵を受けた記憶はほとんどなく、女子大生ブームのときは高校生で、コギャルが出てきた頃には大学生で、なんの象徴的な出来事もなく、団塊ジュニアという名前はあるのに、文化で語るのが難しい世代なのである。
それは、楡野鈴愛にもよく表れている。上京した鈴愛が、幼馴染みの律と、律の友⼈のマアくんとともにディスコのマハジャロに行く場面があるが、なんとかバブルを体験した記憶というのが、ディスコに「行ってみた」というのがリアリティがある。律が大学一年生の年と考えると、それは1990年だろう。バブルはまだはじけておらず、その頃に学生である鈴愛たちは、背伸びして常にきらびやかな空間に行くほど、その文化にどっぷりではなかったということがよく表れている。だからこそ、鈴愛のあの派手なボディコンもちょっと浮いていて、そしてまぶしかったのである。
これがあと数年で、クラブ文化に移行する。それは、1995年が舞台と思われる『SUNNY 強い気持ち・強い愛』で三浦春馬演じる大学生(2年生らしい)が、大きなヘッドフォンを身に着けDJをしていることからもうかがえる。このとき、三浦春馬はロン毛だが、1995年のこの気分は、木村拓哉(1972年生まれ)の影響が大きかったと考えていいだろう。
『半分、⻘い。』のヒロインたちと同じ1971年生まれの大学生たちが就職活動をするのは1993年だが、就活のときにはかろうじてバブル崩壊(1993年)にかかるかかからないかの時期で、就職氷河期の影響を受けた人も受けなかった人もいる。マアくんはなんとか希望の職種についているほうに入る。律は大学院を経て菱松電気に就職しているし、鈴愛も漫画家を志望して高校卒業してすぐに上京しているから、この就職氷河期の影響を直接は受けていない。
失われた時代のリアリティ
しかし、『半分、青い』を見ると、失われた時代を生きた人々の話であると強く思う。鈴愛は高校卒業後、売れっ子漫画家・秋風羽織の元で漫画家修行をし10年目を迎えた1999年に漫画家を辞め、100円ショップ⼤納⾔でバイトを始めることになる。そのときに鈴愛の母の晴が、まだ鈴愛が辞めたことを知らない状態で「あの子の10年は、なんやったんよねえ」とため息交じりで言っているが、その後に父の言う「どんな年月やって意味があるんだぞ」というのも興味深い。
総集編ではその後に、100均のバイトで出会った涼次(後の鈴愛の夫になる人である)が、漫画家の楡野鈴愛のファンで、鈴愛は初めてファンである涼次に握手を求められたことで、漫画家をやっていた10年に意味があったことがわかるシーンがつなげられていた。
鈴愛の恩師である秋風羽織も、「一見、余計なことする時間も、回り道も、あっていいと思います。いろんなことがあって、すべてが"今"につながっていく」と語っているが、こうした⾔葉は『半分、⻘い。』の最も重要な部分であると感じる。
その後の鈴愛をといえば、涼次と結婚して100均のバイトを辞め、離婚し、娘のカンちゃんを連れて実家に帰り、祖父の仙吉に五平餅の作り方を習い、五平餅のカフェを実家近くに開店し、しかしその五平餅カフェを譲り、カンちゃんのフィギュアスケーターになりたいという夢にかけて東京に戻り、屋台を引きながらなんとか生活して、律に再会し、そして律とともにそよ風の扇風機を開発するのである。
文章になった鈴愛の半生を見ると、計画性がなく行きあたりばったりで、何がしたいのかブレブレじゃないかと非難する人がいるのもわかる。しかし、私は個人的にも、鈴愛と同世代としても、すごくリアリティがある話に見えてしまうのである。
「すべてがつながる」と信じるしかなかった世代
個人的な話になるが、自分が就職氷河期を潜り抜けてなんとか就職したときには、まだそこで一生働けるというロールモデルも少なく、なんとなく辞めて、30歳を前に地元でバイトをしたこともあるし、地方都市でそれで生きていくにはどうにもならず上京もしたし、上京してから仕事を探したので、その先がどうなるのか考えている余裕もなかった。
その間、確かに明確なキャリアやスキルが積めたかというと、そうでもなかったが、なにもない状態でも、見様見真似でやったりしてなんとかしのいできた。ある経験が意外に別の仕事で役に立つこともあった。まさしく、秋風先生の言う「いろんなことがあって、すべてが"今"につながっていく」が実感できるのである。
そこには、肯定的な意味でも否定的な意味でも、そう捉えるしかなかったという背景がある。大泉洋(1973年生まれ)は、筆者がオリコンニュースでインタビューした際に「私らの頃は『将来を決めないこと』に対して追い風だった時代だったのかもしれないですね。不況で就職先も見つからない、だったら好きなことをやってもいいんじゃないっていう空気がありました」と語っている。だんだんと不況になっていく世の中で、自分たちがそこに巻き込まれていった状況をポジティブに捉えているのだとわかる。
もちろん、これは、バブルが終わり、どうなるのかわからない中で見つけた、この世代なりの考え方であり、今を生きる若い人たちが「いろんなことがあって、すべてが"今"につながっていく」という考えだけを信じてうまくやっていけるほど、楽観視できないし状況が変わっていることもあるのだということも知っている。それは、現代のフィクションにも書かれているし、何十年後かに、朝ドラで総括されることもあるだろう。
しかし、模索しながら流されながら、それでもポジティブにこれも何かにつながると信じるしかなかった。そういう団塊ジュニアの感じた、これまではなかなか描かれることのできなかった時代の空気を、うまく描いてくれたのが『半分、青い。』でないかと感じるのだ。
著者プロフィール: 西森路代
ライター。地方のOLを経て上京。派遣社員、編集プロダクション勤務を経てフリーに。香港、台湾、韓国、日本などアジアのエンターテイメントと、女性の生き方について執筆中。テレビブロスで、テレビドラマの演者についてのコラム「演じるヒト演じないトキ」連載中。著書に『K-POPがアジアを制覇する』(原書房)、共著に『女子会2.0』(NHK出版)などがある。
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