26日に放送された日本テレビ系大型特番『24時間テレビ41 人生を変えてくれた人』(25日18:30~26日20:54)で、今年7月2日に亡くなった落語家・桂歌丸さんの『笑点』への思いが明かされた。
81年の人生に幕を下ろした歌丸さんは亡くなる2年前、50年出演してきた『笑点』を勇退。最後の出演となった放送では、「泣くまいと思いましたけれど、やっぱり悲しいです」と、人前で初めて涙を見せた。
落語に身を捧げた人生の背景には、いつも妻・冨士子さんの支えがあった。歌丸さんは、中学卒業と同時に落語の世界に飛び込んだが、22歳のとき、若手の出番が少ない状況を変えようと、独立を企てるもあえなく失敗。その後1年半もの間、落語の世界を離れた。その間、「いつでも落語の世界に戻れるように」という思いから、冨士子さんは昼も夜も仕事をして歌丸さんを支えたそう。そんな妻の思いに気付いた歌丸さんは、頭を下げ、再び落語の世界へ舞い戻り、一躍人気者となった。
歌丸さんにとって冨士子さんは、まさに「人生を変えてくれた人」。『笑点』を勇退するときも、冨士子さんの言葉が導いてくれたという。「噺家も辞めようと思う」という歌丸さんに、冨士子さんは「辞めてぼーっとしてたっておもしろくないじゃない」「寄席なり落語会で落語しゃべってるのがいいんじゃない」と後押しし、病と闘いながらも、落語に向き合い続けた。
そうした中で芽生えたのが、『笑点』復帰への思い。「一度限りの笑点 司会復帰計画」が立ち上がった。勇退から2年、新たなチームワークを築く『笑点』に口を出すことは一度もなかったというが、司会に復帰しようとした理由は、噺家の神髄「言葉遊び」を今の笑点に加えてほしいというものだったという。復帰計画を聞いていた三遊亭円楽は「こういう芸なんだよ、こういうのが大喜利なんだよと」「本当の言葉遊びとしての笑点も1回やりたかったんじゃない?」と推測した。
しかし、その計画を前に、持病の肺気腫に肺炎を併発し、今年4月に緊急入院。呼吸器がなければ、話すどころか息をするのもままならない状態になった。「少しずつ良くなってるから、頑張ってね」と見舞いに来て励ます円楽に、歌丸さんは「もうだめだ」と初めて弱音を漏らしたという。円楽は、だるまの目を書き入れ、裏に「復活」の文字を記し、それを見た歌丸さんは、はっきりとした口調でシャレを言って応えた。
病床でも貪欲に笑いを求め、『笑点』復帰への執念を燃やしていた歌丸さんだったが、「笑点復帰計画」まであと1カ月と迫った7月2日に逝去。計画は幻となったが、歌丸の『笑点』への思いは、メンバーにしっかり受け継がれている。
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