ファーストキャリアを構築しながらも、自分らしいセカンドキャリアとして就農を選択した元・幼稚園教諭の榎本義樹さん(前編)。幼稚園教諭としてのキャリアを歩んでいた榎本さんですが、30歳を前にして「このままで良いのか?」と自分自身に問いかけるようになります。揺らぎの中で、榎本さんはどのような選択をしていったのでしょうか。

30歳を目前にして訪れた転機

自らのキャリアに対して割り切れない思いを感じていた頃、プライベートでよく会っていたのが、一つ年下の芦野勇希さんでした。

学生時代に出会った地元のアルバイト仲間で、もともとは共通の趣味を持つ友人としての付き合いでしたが、お互い社会人となり、いつしか悩みを打ち明け合う仲になっていました。

  • 芦野さんとは学生時代からの付き合いと話す榎本さん

芦野さんは、障害福祉サービスを行う「NPO法人ゆう」が運営する、「放課後等デイサービス・てんとうむし」の施設長です。

榎本さんは、あるとき芦野さんから、こんな話を聞きました。

「障害を持つ子どもたちに、さまざまな体験の機会を提供するために、施設の横の土地を使って野菜を育てたい。しかし、そこは土壌が悪く、失敗してしまった。どうしても実現させたいのだけれど、うまくいかず悩んでいる」

このとき、農業と子どもというキーワードが榎本さんの中にひらめきました。

「自分が求めていたのはそれなのかもしれない」

実は、榎本さんの実家は農家を営んでいます。父親は現役の農業従事者で、榎本さんも幼少期から、農作業の手伝いをしたり、父の働く姿を見たりしてきました。それまで家業を継ぐことを特に考えていなかったそうですが、芦野さんの話をきっかけに、「自分にしかできないこと」についての答えが見えたような気がしました。

「農家に生まれたという自分のルーツと、幼少期の子どもたちと関わった経験、そして幼稚園教諭として働いている現在。全てが一筋の線でつながりました。その先に自分の未来が見えたような気がしたのです。これらは、他の人には絶対にない、自分らしさなのかもしれない。子どもを相手にした農業をしたい。そういう自分らしい仕事をしたいと感じたのです」と榎本さんは話します。

「障害を持つ子どもたちと一緒に野菜を作り、収穫する。地域の人々にも、野菜狩りの体験を提供する。そんな農園をやってみたい。挑戦するなら今だ」と思い、そのときから、頭の中に次々と具体的なプランが出てきたそうです。それらのアイデアを芦野さんに提案し、協力を快諾してもらえたのが、2016年の秋。そこから、榎本さんの人生は急展開します。

今の自分をつくってくれた大切な場を去る準備を進めました。園にも、子どもたちにも、その親御さん方にも迷惑をかけないように十分な配慮と段取りをし、2017年3月末、幼稚園を退職しました。8年間のファーストキャリアがここで幕を閉じました。

  • 園児たちが作ってくれた作品

追い求めるのは、自分にしかできない、自分らしいスタイル

4月、ついに榎本さんの農園、「やさいのおうち東久留米」が本格スタート。まず、6月までの2カ月間で、荒れた土地を畑として整備し、人が出入りできる環境に整えていきました。

パワーショベルの免許を取得し、日々、ひたすら地面を掘り返す。トラクターの運転の練習や、野菜作りに関する勉強も、ほぼゼロから必死で取り組みました。

「新しいことを始めることへの不安は、動くことで解消されていきました。不安がるより、進む方が大事だと思っていましたね。また、幼稚園教諭としての知識や経験は、大いに役立ちました。数々の失敗経験から、失敗を恐れない性格になっていましたし、失敗しても次に成功するためには今何をすべきか、ということを逆算して考えられるようにもなっていました。障害を持つ子どもたち目線での施設づくりという点においても幼稚園で学んだ専門性が活きたと思います」と榎本さんは楽しそうに話します。

「自分にしかできない仕事である」という自負と、経験と専門性によって裏付けられた自信が、榎本さんの背中を強く押していました。障害を持つ子どもたちとの野菜作りが始まってからは、日々、気づきと模索の連続だったそうです。

  • 野菜作りは試行錯誤の連続

「障害のある方との関わりは、学生時代、保育士の資格を取る際にほんの少し経験がありましたが、ここまで深く交流するのは初めてのこと。対応は一人ひとり変わりますし、感覚的なことを伝えるのが何より難しい。わからないこと、気になったことは、その都度、プロである施設のスタッフに聞くようにし、自分もその一員として関わろうと努力しました」

すると次第に、子どもたちの見方が変わってきたといいます。

「今では、障害を個々の特徴として見ています。子どもたちは、できないこともたくさんあるのですが、自分の好き嫌いをはっきり見せてくれるので、そこに個性を感じますね」

こうしたものの見方、考え方ができるのも、幼稚園教諭としての経験や、保育士資格を持つ自分だからこそだと榎本さんはいいます。

一方で、野菜作りにおいては、2年目となる今年の方が、さまざまな葛藤があるようです。

「野菜のおうち東久留米は、農薬や化学肥料を一切使用しない野菜作りが売りです。しかし、このこだわりと、(農薬を使うことで)農作物の収量を増やし、安定した収入を保っていくビジネス面の間にあるギャップが、今、大きな悩みの種になっています」

それでも、表情は明るく、楽しそうに語る榎本さん。

「まだ始めて2年目。まずは、3年、4年と、トライアンドエラーを繰り返しながら続けていくことが、最も大事なことだと思っています」

幼稚園教諭からの就農。一見すると、とてつもなく思い切った行動で苦労も多いように思えます。しかし、榎本さんにとっては、自分らしさを求めた結果、違和感なく進むことができたセカンドキャリアだったのでしょう。

「幼稚園の先生という仕事は、本当に楽しく、やりがいもありました。でも、やさいのおうち東久留米こそが、自分にしかできないことで、何よりこれは、8年間の幼稚園教諭という経験の上に成り立っています。今の自分を育ててくれた所沢文化幼稚園の環境には、大変感謝しており、いずれ何らかの形で恩返しがしたいと考えています」