「人生100年時代」という言葉を目にする機会が増えました。以前は当たり前だった、年齢で自分のキャリアを区分する生き方では、人生の時間を少し持て余してしまう時代です。必要なのは、自分らしい足取りで、自分なりのキャリアを歩んでいくこと。
セカンドキャリア=シニアの定年後のキャリアという認識も変わりつつあるのではないでしょうか。しかし、自分らしいキャリアを求めることは簡単ではありません。
今まで蓄積してきた経験を敢えて棄却し、未経験のものに身を投じることもあるのでしょう。自分の「次」を意識した時、人はどのように歩みを進めていくのでしょうか。
今回は、ファーストキャリアを構築しながらも、自分らしいセカンドキャリアとして就農を選択した元・幼稚園教諭を紹介します。
就農という夢の実現へ
東京都東久留米市で、2017年より、「やさいのおうち東久留米」を運営している榎本義樹さん。野菜狩りのできる農園をコンセプトに、同地域の障がい福祉サービス施設「放課後等デイサービス・てんとうむし」に通う子どもたちの農業体験の場、また、年数回の収穫体験会を通じた、子育て世代を中心とした地域住民との交流の場として、農業と福祉を掛け合わせた、独自の切り口での農園運営を行っています。
そんな榎本さんの前職は幼稚園教諭。埼玉県所沢市にある、学校法人所沢文化幼稚園の所沢第二文化幼稚園に、丸8年在籍していました。幼稚園教諭は、榎本さんの子どもの頃からの夢。
「小学校の高学年くらいから、学校や習い事のピアノ教室で、年下の子どもたちの面倒を見ることに楽しさを覚えるようになり、好きなピアノと共に仕事に活かせるのではないかと、中学生頃から、幼稚園の先生という仕事に興味を持ち始めました」(榎本さん)
高校生になるとその気持ちは一層強くなり、就職先として幼稚園教諭を目指します。教諭としての専門性を修得し、早く現場に出るため、進学先は専門学校を選び、卒業後は所沢文化幼稚園に就職。憧れの幼稚園教諭としての人生がスタートしました。
新人が直面する厳しさとプロフェッショナルへの憧れ
最初に担任として任されたのは、年長クラスでした。学校で学んだこと、実習で経験したことをもとに、自信を持って現場に向かった榎本さんでしたが、そこで現実の厳しさを目の当たりにします。
32人の個性溢れる子どもたちは、なかなか自分の思うようには動いてくれない。
戸惑う自分と、そんな新人男性教諭に対する保護者達の厳しい視線。
「幼稚園は教育の現場なんです。子供と毎日楽しく遊んで過ごせば良いだけじゃない。それに子供たちは、親御さんから託していただいているんです。そんな当たり前のことを十分に理解していない、考えの甘い自分に気づかされました」と榎本さんは話します。
好きなことを仕事にした榎本さんですが、プロとしての責任の重さを痛感する日々が続きました。
「やりたい仕事に就けた喜びはありました。でも、できるはずのことができない。うまくいかない毎日に、すっかり自信をなくしてしまいました。毎日が土砂降りの気分でした」
そんな日々を過ごしながらも、榎本さんは仕事が嫌いになったり、辞めようと思ったりしたことはなかったと言います。彼の背中をいつも押していたもの、それは同僚たちが見せるそれぞれのプロ意識でした。
「当時、20代後半の先輩・上司でも、それぞれの教育観やビジョンを持って、自分らしく仕事に臨んでいました。その姿勢や考え方に触れているうちに、自分も30歳までに自分を仕事で表現できる人間になりたい。そう思ったんですよね」
「それならば、考えを変えようと思いました。失敗を恐れながら仕事するのではなく、日々の失敗に対して積極的に向き合い学びの糧にする。20代は経験を重ねる期間、30代はその経験を活かして活躍する期間にしよう、という思いが生まれたのです」
日々の失敗と真摯に向き合い始めた榎本さん。20代の後半を迎える頃には、副主任という役を任されます。新たな立ち位置にモチベーションを高める一方で、この頃から小さな揺らぎが芽生え始めます。
今の仕事は「自分らしい」と言えるのだろうか?
「30歳までに仕事で自分を表現したい」。それを目指して、幼稚園教諭としての経験と専門性を高めてきた榎本さん。
タイムリミットは迫っていました。
キャリア変遷のポイント
「自分らしさ」を求めて、セカンドキャリアに歩みを進めたケースとして、榎本さんを紹介しました。後編を紹介するまえに、本記事の監修を務めるエスノグラファーの神谷俊氏に、榎本氏のキャリアの流れについて整理してもらいました。キャリアに関する学説を参照して榎本さんのケースを整理すると、次の4つのステージで説明できるとのことです。
1:進むべき方向が見える | 幼少期の体験から幼稚園教諭を目指す | 幼少期に年下の子供たちの面倒をみて「楽しかった」という経験がキャリアに影響をあたえ、幼稚園教諭という職業に榎本さんを導く |
2:新たな社会への移行と遭遇 | 好きと仕事の間でリアリティショックを感じる | 期待を抱いて歩み始めた1stキャリア。幼稚園教諭という仕事にある、責任の大きさを目の当たりにして、自分の認識の甘さを痛感 |
3:適応意欲の醸成と安定化 | 先輩社員が持つプロフェッショナリズムへの近接 | プロとして、自らの教育観を掲げ自分らしく仕事をする先輩社員達。それを目標に、榎本さんも職業人としての役割認識とスキルを身につける |
4:本来感への懐疑と節目の到来 | 適応後の揺らぎ | 幼稚園教諭として一人前になったが、現在の仕事が「自分らしい仕事」と言えるのか、このままで良いのか? 確信を持てずにいた榎本さんに小さな「揺らぎ」が生まれる |
「この表の4で『揺らぎ』に対して意識的になっているところが興味深いですね」と神谷氏は指摘します。このような揺らぎは、進学や結婚など、人生を歩む中で誰もが経験するものだそうです。しかし、その状況に強い問題意識を持ち、アクションへと踏み出していく人は多くはないようです。
その「揺らぎ」と真摯に向き合い、自分らしさを求めて新たなキャリアを切り開くには相応のエネルギーが求められるものだと神谷氏は説明します。
キャリアにおける揺らぎとの向き合い方
一人で仕事を回せるようになり、周囲からも評価を得て、自分のキャリアが順風満帆であったとしても、不思議と自分らしさや納得感を得られない。ふとした時に、「自分がやらなくても良いのではないか」「自分の居場所は他にあるのではないか」という疑念や不安がふつふつとその輪郭を大きくしていく。こうした経験は、人が新たな社会に適応していく過程や、適応後に少なからず、発生するものです。
多くの人は、こうした「揺らぎ」とどう向き合うのでしょうか。
「それが役割・責任であるから」「給料をもらっているから」と、義務感や責任感で蓋をして、自らを変容させながら必死に適応しようという姿勢を保ち続けていく。そのような人もいるでしょう。その時に「それが大人だ」と私たちは言い聞かせるのかもしれません。
そして、やがてはそこで業績を重ね、地位を高め、「成功」を手にし、新たな自分をそこで構築していくなか、いつからか揺らぎはおさまり、今の自分が「自分らしい」とさえ思うようになっています。
「就職して、昇進昇格を重ねてキャリアを構築していくビジネスパーソンにおいて、そのようなキャリアの歩み方は、一般的であるし、現代では未だ多数派なのかもしれません。しかし、榎本さんのキャリアは、自分らしい働き方を目指すことの意味やそれと向き合うことの重要性を語ってくれているように感じます」と、神谷氏は言います。
揺らぎが引き起こす決断
日々の業務の中で感じる虚しさや不足感と向き合い、別のどこかへ思いを馳せる。そういった、「自分なりの本来感」へのこだわりによって、次の場所を追い求める。こうしたスタイルもあるのだと、榎本さんのケースは教えてくれています。
揺らぎを感じたまま、そのままの道のりを進むべきか。別の道を探して、未知の方角へ歩を進めるべきか。どちらの決断が良いのかは、正解がなく、また本人すら見通しが利かないものなのかもしれません。
そのような状況でどのように意思決定をくだしていったのか。その先に、どのような世界が見えたのか。後編では、榎本さんの決断とセカンドキャリアを通して見えたものを紹介します。
監修者
神谷俊(かみやしゅん)
株式会社エスノグラファー 代表取締役
企業・地域をフィールドに活動するエスノグラファー。文化や人々の振る舞いを観察し、現地の人間社会を紐解くことを生業としている。参与観察によって得た視点を経営コンサルティングや商品開発、地域医療など様々なプロジェクトに反映させ本質的な取り組みを支援する。