これまで、大泉洋篠原涼子などのロスジェネの俳優が主演のドラマについて書いてきた。この二人は、ともにロスジェネ世代(1972年生まれから1982年生まれの、就職氷河期に大学を卒業し新卒となった世代)の俳優である。

派遣社員のメリット・デメリットを描く

この大泉と篠原が共演する作品がある。2007年に放送された日本テレビ系のドラマ『ハケンの品格』がそれである。このドラマは、東京丸の内にある大手食品会社を舞台に派遣社員・大前春子の活躍を描くというもの。放送当時は、派遣社員を題材にしたということが斬新で話題となった。

実際、派遣の世界は、当時も様変わりをしていた時期だった。バブル崩壊で人件費を削減しようとする企業が増え、そこに規制緩和も加わり、人材派遣業は活性化していたところだった。筆者も、2000年代初頭に上京したときは、バイトではなくフルタイムで毎月一定額の賃金をもらえる派遣社員をすることで、生活を支えることができた。ある程度前職でのスキルがあれば、すぐに仕事にもありつけたのも助かった。

本作も、派遣社員のメリットも描かれる。主人公の大前春子は、スキルは高いが、何らかの理由があって、スーパー派遣として企業を転々としている。春子の時給は3,000円と言われているが、当時派遣をしていた私でも、オフィス内での事務でそこまで高い時給の人は知らない。しかし、ドラマでは、会社のしがらみと無関係で生きられる一匹狼として、スキルさえあれば、やっていけるということが描かれていると思う。

実際にも、当時はそんな空気があった。派遣社員の私に対し、「派遣さんはちゃんとワードやエクセルのスキルもあるし、ちゃんと仕事のできる人じゃないとできない、立派な仕事だと思う」という人もいて、その言葉に勇気づけられたことも事実だ。実際に、派遣に優秀な人はたくさんいたし、重要な業務を担っている人もたくさんいた。

しかし、それは派遣社員をしている人の個人個人の話。業務を委託する/されるの関係性を見ると、派遣社員は、決まった契約期間しか働けないし、将来の不安もあり、不利な働き方ともいえる。

ドラマの中でも、大泉洋演じる東海林主任が春子に対して「格差はどんどん広がっていくんだ。いくらスキルで武装してもな、派遣の未来はつらいぞ」というシーンもある。小泉孝太郎演じる里中主任が、社員食堂で社員はカレーが350円で食べられるのに、派遣は700円を出さなくてはならないと語るシーンもある。

時間が読みやすく、スキルに応じた仕事にも就きやすい派遣というスタイルが自分にはちょうど良いという人もいるだろうが、生涯未婚率も上がっているし、女性は結婚すれば家計を助ける程度に働けば良いというわけでもないこの時代に、メリットだけを誇張することは、派遣に限らず、どの分野であってもいいことではないはずだ。

このドラマでは、当時の派遣は新しいスタイルの働き方だということを描くと同時に、派遣のデメリットについてもちゃんと描いていたのだ。

このドラマには、派遣社員のあり方の難しさを描いているところもある。社内で企画コンペがあり、派遣社員にも応募資格があるというものだ。正社員でなくても、広く企画を募集するという貼り紙を私も実際に見たことがある。そのときに、その募集要項を見て、どうせ派遣(や正社員ではない女性)の企画を、真面目にとりあってくれるとも思わないし、もしもアイデアが良くても、それを実行するスキルすら身についていないのだから、応募しても仕方がないとあきらめていたのだ。

本作では、大前春子の後輩で、春子ほどスキルのない、おっとりした派遣社員の森美雪(加藤あい)が企画した派遣弁当が見事企画募集のコンペで選ばれるのだが、やはり、森美幸にはプロジェクトを動かすスキルがないために、その企画は社員の名前で出すべきか物議を醸し、結局は紆余曲折あって東海林がリーダーを務めることになる。

この企画募集に最も懐疑的なのが、何を隠そう大前春子だった。彼女は、スキルがあるからこそ、企画が通ったあとのことや、派遣の責任の範疇に対しても考えていたのだろう。

ドラマの最終回で、東海林や大前春子が働く会社の社長が、里中に対し「わが社がもっと派遣を導入すべきだと思うかね」と聞くシーンがある。それに対して里中は大前春子に言われたことを持ち出し、「ある派遣の女性にこう言われました。あなたたちは派遣を人だと思ってるのですかと。人として向き合わなければ、いい仕事はできないのではないでしょうか」と答えるのだ。その後のシーンでは、おっちょこちょいの派遣社員、森美幸が紹介予定派遣の紹介を受けるシーンも描く。改めて見返すと、本作が、派遣社員というまだどう進んでいくのか見えない制度を、良いところも悪いところも割としっかり描いていたことがわかる。

時代の過渡期にいたロスジェネのゆらぎ

前作では、ロスジェネのラブ・コメディには、年下男子と、同年代の王子が存在するということを書いたが、本作には、王子も存在しない。いるのは、大前春子になにかとつっかかってくる、社内政治にも積極的で部長のコバンザメ(その後、考えを改めるのだが)の東海林主任という存在だけである。しかし、東海林と大前春子のケンカしつつも、お互いが気になっている感じのシーンは、妙にぐっとくる。

東海林は、入社以来、社交術で出世街道にいたが、派遣弁当のごたごたで正義感を見せたことがきっかけで、会社を辞める意志を持ち、失踪するのだが、一転、会社に残り、地方に転勤することになる。ギリギリのところで正社員から転落せずに済んだのだ。つまりこのコラムに書いてきた意味での「冴えない」ロスジェネにはならなかったわけだ。

彼は、当初は部長という終身雇用が当たり前だった時代の会社人間を倣って自分もそんな生き方をしようとしていたが、何かが違うと感じていた人なのかもしれない。旧型の会社人間と、転職に心理的ハードルのない若い世代の間にあるロスジェネのゆらぎを感じされる人でもあった。そんな過渡期を描いたところも含めて当時の空気を落とし込んだ作品だった。

著者プロフィール: 西森路代

ライター。地方のOLを経て上京。派遣社員、編集プロダクション勤務を経てフリーに。香港、台湾、韓国、日本などアジアのエンターテイメントと、女性の生き方について執筆中。テレビブロスで、テレビドラマの演者についてのコラム「演じるヒト演じないトキ」連載中。著書に『K-POPがアジアを制覇する』(原書房)、共著に『女子会2.0』(NHK出版)などがある。

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