気軽に行ける涼しい場所で休日を過ごしたい、せめて雰囲気だけでも涼を感じるスポットはないものか? 東京はさまざまな台地・低地や崖線(崖の連なり)から成り立ち、崖線には湧水が多く見られ、手付かずの自然が残されています。
国分寺崖線とは
古くから地元で「はけ」と呼ばれる国分寺崖線は、立川市、国分寺市、小金井市等を経由し、世田谷区から大田区にかけて、約30キロメートルにおよぶ崖(河岸段丘)です。それでは前回に続き、湧き水スポットを巡りたいと思います。
(注)お出かけの際には帽子、日傘、飲料水などの熱中症予防対策と、虫よけスプレーを忘れずに携帯しましょう。
湧き水スポット5 深大寺の湧水群
後編で最初に訪れたのが調布市にある深大寺。国分寺崖線が谷戸(丘陵地が浸食されて形成された谷状の地形)状にえぐれた崖下に、深大寺の境内が広がっています。深大寺は、天平5年(733年)の開創とされ、東京都では浅草の浅草寺に次ぐ古刹。
周囲には、神代植物公園、水生植物園、神代城址公園があり、気軽に行ける観光地として人気があります。深大寺の湧き水で特筆すべきは、その豊かな水量。境内と周辺に複数の水源があり、はるか昔から人々の喉と田畑を潤してきたそうです。
深大寺の名物といえば蕎麦。門前には蕎麦を提供する店が立ち並んでいます。この蕎麦も豊富な湧き水と深いかかわりがあります。湧き水で水車を回し、製粉を行い、蕎麦をこね、深大寺の参拝客へ提供したとのこと。それが名物となり、「深大寺蕎麦」として定着したといわれています。爽やかな空気の中で蕎麦を味わう。そんな楽しみ方ができるのも深大寺ならでは。
湧き水スポット6 実篤公園
次に向かったのは、京王線仙川駅から徒歩約10分のところにある「実篤公園」。この公園は、その名の通り、小説家、武者小路実篤(以下実篤)の邸宅でした。実篤は「水のあるところに住みたい」という子供の頃からの夢をかなえるために、昭和30(1955)年、70歳の時に、この地へ居をかまえ、90歳で亡くなるまでの20年間を過ごしました。
実篤の死後、邸宅はご遺族より調布市に寄贈され、実篤が暮らした当時に近い状態で保存されています。国分寺崖線の高低差を活かした庭園には、鬱蒼とした樹林と湧き水の池があり、なんと池にはニジマスが泳いでいました。酷暑の中、冷たい水を好むニジマスが元気でいられるのも、清涼な湧き水のおかげですね。
実篤公園は、崖下の公道を挟んで3つのエリアに分かれており、小さなトンネルが各エリアをつないでいます。2つめのエリアにも湧き水を引いた大きな池があり、木立の中に実篤の胸像が据えられていました。
3つめのエリアには、実篤の本、絵や書、原稿や手紙、実篤が集めていた美術品などを所蔵・展示する「武者小路実篤記念館」があります。木陰と湧き水で涼を楽しんだあとは、武者小路実篤記念館で文学の世界に浸ることもできます。
湧き水スポット7 成城地区の湧水群
最後は、小田急線成城学園駅から徒歩約15分~30分圏内にある、成城地区の代表的な湧き水を紹介します。最初に向かったのは、「喜多見不動堂(正式名称は喜多見慶元寺境外仏堂)」。創建は1876(明治9)年とのこと。
仏堂は国分寺崖線の上にあり、崖の下から仏堂へ上る階段の横に、豊かなハケの湧き水が落ちる不動の滝がありました。滝口には滝不動が祀られ、かつて信者たちが水行をしたといわれています。
次に向かったのは、喜多見不動堂から徒歩約20分の所に点在する「成城三丁目緑地」の湧水群。世田谷区は、国分寺崖線の樹林を緑地として保全しており、豊かな湧き水とセキショウを始めとする湿生植物の群落を見ることができます。
世田谷通りに近い湧き水エリアでは、水源の近くまで行くことが可能。鬱蒼とした樹林と涼しげな水音に包まれていると、都内であることを忘れ、深山幽谷の世界を味わうことができます。世田谷区内には、成城地区から先の大蔵地区、岡本地区などにも湧き水エリアがあります。東京のオアシスを求めて、訪ねてみてはいかがでしょうか。