星野リゾートが2018年7月に開業した、神奈川県・箱根町の「界 仙石原」。温泉旅館ブランド「界」としては15カ所目となる同施設の特色は、施設の柱となるテーマに「アート」を据えたところにある。
また、開業前にアーティストと協業し、客室ごとに作品を設置するなど、「界」の既存の施設とはやや異なるアプローチであるように映る。このテーマ設定の狙いと、開業前に行われたアーティストとの協業について、内覧会の様子を中心にお届けする。
温泉旅館を、訪れた人の「アトリエ」に
「界」では、各地の伝統文化などに親しむ体験を提供する「ご当地楽」、そして地域文化を表現した「ご当地部屋」によって、立地に応じた個性を出している。箱根エリアにはすでに「界 箱根」があり、「界 仙石原」は同一エリアで2カ所目の施設だ。
説明するまでもなく、箱根は日本有数の観光地。2015年の噴火で一時客足が遠のいてしまったものの、昨今のインバウンド効果などもあり、2017年には噴火前の水準(約470万人)にまで戻っている。
同じエリアでの第2の施設ということで、開業にあたって、界 箱根の「宿場町」とは異なる土地の「個性」を探したという。ポーラ美術館、箱根ガラスの森美術館など、「界 仙石原」周辺には数多くの美術館があるが、ひとつのエリアにこれだけの美術館が集まっているのは世界有数である、と、池上総支配人は語る。そうした土地の個性から、同施設を「アトリエ温泉旅館」と銘打った。
アートを「見る」のではなく、「体験」する
あえて「アトリエ」と枕につけたのは、「見る」イメージの強いアートを、宿泊者が実際に「体験」してほしいという思いが込められているため。
「単にアートを鑑賞するだけなら、周囲に良質な美術館がたくさんあります」(池上総支配人)
宿泊客だけでなくスタッフを含めた人々がアートに触れあうためのアトリエとしての魅力を提案していく。「ご当地楽」として手ぬぐいの着彩体験を提供し、週末・日曜の朝には、アーティストを講師としたアクティビティを複数展開する。
筆者も手ぬぐいの着彩を体験したが、言われてみれば、絵をみずから描いたのは学校での授業が最後だった。絵の完成度もあって、素人でも色をつければそれなりに見られるものになるのも嬉しいし、手ぬぐいであればよいお土産になる。「アート」と言えば美術館で見る側という意識が強かったが、この体験を経て「アート」の楽しみを再発見させられた。
アーティストの「滞在」を「作品」に昇華
もちろん、「アート体験」だけが同施設のウリではない。「アトリエ温泉旅館」を標榜する同施設の成立には、生業として作品を生み出すアーティストの存在があった。開業前にアーティストが同施設に宿泊して作品を制作する「アーティストインレジデンス」(以下、AIR)が実施されたのだ。
「AIR」は、一定期間の滞在を経て、その土地の風土を感じながら作品制作するプロジェクトを指す言葉。日本でも行われてはいるが、越後妻有トリエンナーレなどに代表される地域型芸術祭と比べると、知名度は低いかもしれない。
今回のAIRは「アーティスト イン レジデンス 箱根仙石原」と銘打ち、すどう美術館、そしてアーティスト・朝比奈賢氏が率いる湘南アートベースが主催したもので、星野リゾートは共催という立場。また、星野リゾートが宿泊・食事の提供と、一部画材の補助を行った。
アーティストは、原則として滞在した部屋に自身の作品を飾ることを念頭に置いて制作を実施。開業後は、客室「仙石原アトリエの間」として、1室ずつ異なる個性のある空間として提供されている。作品を通じ、アーティストがこの土地をどう感じたか実感してほしいとの意図が込められた。
日本におけるAIRは自治体主導で、地方創生の意味合いが強いものが多い。その一方で、星野リゾートのような勢いのある企業が、自社施設のコンセプト実現のため、アーティストの力を借りるためにAIRが行われたのは非常に興味深い。池上総支配人に、今後、AIRあるいはそれに準ずるようなイベントを行う予定はあるか、問いかけた。
「現段階で具体的な予定はありませんが、今回の取り組みで得た経験値はノウハウとして社内に還元いたします。また、今後もアーティストの皆様とは継続して関わりを持ち続けていきたいと考えております」(池上総支配人)
AIRなのか、その他の形になるかは未知数だが、「界 仙石原」でのアート体験が実を結ぶごとに、次の展開が近づくに違いない。温泉とアートを楽しめる同施設の今後に期待したい。
(杉浦志保)