PL学園の“KKコンビ”として語り継がれる桑田真澄と清原和博の知られざる葛藤と伝説が、31日のNHK BSプレミアムのドキュメンタリー番組『アナザーストーリーズ 運命の分岐点』(毎週火曜21:00~)で放送される。
1982年8月20日、当時1年生だった2人が豪打・池田高校を倒した瞬間から、甲子園のKK伝説がはじまる。1年夏から甲子園に5回出場、2人が甲子園で喫した敗北はわずか3つ。その敗北こそが彼らを史上最強へと導き、優勝2回、準優勝2回という圧倒的な成績を残した。
1年生の春、ピッチャーをクビになり、一時は野球部も高校も辞めようとしていた桑田。その運命を大きく変えた試合があった。3年間甲子園に出続けるため、そして優勝するために。桑田は一人考えながら、黙々とランニングを続けていた。
PL学園野球部でKKと同期だった滝口隆司。ランニングをして寮に戻った時、同部屋の桑田から「ランニングというのは死の一歩手前まで走ることだよ」と言われたことを今も覚えている。一方、1年で4番を任され、1試合3ホーマーを放つなど進化した姿を甲子園で披露した清原だったが、2年では重要な場面で結果を出せずに苦しんでいた。
「『今日俺、2本打ってくるからな』と言って、本当に2本ホームラン打って帰ってきた」と証言するのは、数々の伝説の目撃者でもある2年後輩の野村弘樹。KKの1年先輩で新人教育係だった清水孝悦は、2人の桁外れの素質に驚いた。1年からレギュラーメンバーに名を連ねた桑田と清原は性格は正反対。だがいつもチームの勝利のために互いを支え合ってきた。桑田が当時の思いを語る。
1984年に取手二高を率いて、決勝でKKを封じてPLを破った名将・木内幸男にとって、「勝利の秘策」とは何だったのか。2年生の夏の決勝で取手二高に敗れた年の冬、桑田は誰にも告げずにひとり旅に出る。訪れたのは、取手二高のエースの家だった。
歴史に残る出来事のドラマを紡ぎ出し、そこに関わった人々の「アナザーストーリー」に迫る同番組。今回は、「桑田と清原 KK伝説~甲子園が熱狂した夏~」と題し、当事者たちが“KKの衝撃”を伝える。