「新たなことに挑戦するできるチャンスが訪れた。そこに島根富士通の強みを発揮したい」――。島根富士通の神門(ごうど)明社長はこう切り出した。
島根富士通は、国内最大規模を誇るノートPCの生産拠点である。
島根県出雲市にある島根富士通は、1989年12月に設立。1990年から操業を開始した。2013年には、操業以来の累計出荷台数は3000万台に到達。今年度中には累計4000万台への到達が見込まれている。
富士通ブランドのPCには、ノートPCを生産する島根富士通のほか、デスクトップPCを生産する福島県伊達市の富士通アイソテック、Androidタブレットを生産する兵庫県加東市のジャパン・イーエム・ソリューションズ(旧富士通周辺機社工場)、海外向けPCを生産するドイツの富士通テクノロジー・ソリューションズがある。
だが、そのうち、FCCLの100%子会社は、島根富士通だけだ。富士通アイソテックおよび富士通テクノロジー・ソリューションズは、富士通の100%子会社。ジャパン・イーエム・ソリューションズは、今年4月に、社名を変更するとともに、ファンドのポラリス・キャピタル・グループが81%を出資し、富士通が19%を出資している。
これらの生産体制や連携体制は今後も維持されることになり、災害時の生産体制の維持に向けて、ノートPC生産の島根富士通でデスクトップPCを生産したり、デスクトップPCを生産する富士通アイソテックでノートPCを生産するための試験稼働も継続的に行われ、相互の連携体制も崩れない。
だが、これまでとは、距離感が少し変化したのは事実であり、島根富士通が、FCCL直系にして唯一の基幹工場という位置づけのなかで、FCCLのモノづくりを強化していくことになる。
島根富士通の神門社長は、レノボ傘下でスタートした2018年5月以降、社員全員を集めて、メッセージを発信するといったことはしていない。レターを配信しただけだ。それには理由があった。
社内メッセージを発信しなかった理由
FCCLにレノボが51%を出資することが正式に発表されたのは、2107年11月のことだ。そのときの地元紙の報道や、富士通のPC事業を取り巻く噂などに、島根富士通の社員たちの不安は絶頂に達した。
「中国資本のレノボがなにを仕掛けてくるのだろうか」「島根富士通は買収されてしまうのではないか」――。社員の間には、こうした不安が広がった。
このとき、神門社長は、「これからも、なにも変わらない」と、社員全員に対して、真っ先に宣言してみせた。そして、「質問には何でも答える」と呼びかけ、社員の不安を払拭することに努めた。
これは、2016年2月に富士通がPC事業を分社化しFCCLを設立、島根富士通がその傘下になったときと同じだった。振り返れば、今回に比べるとインパクトは少ない出来事だといえるが、当時、富士通からの分社は、島根富士通の社員にとっても大きな不安だった。
そのときにも神門社長は、「なにも変わらない」ということを社員に宣言した。そして、実際にその通りになった。
2017年4月に、6代目の島根富士通の社長に就任した神門氏は、同社初の生え抜き社長でもある。入社直後から生産ラインに立ち、PCを組み立ててきた経験もある。名実ともに、生産現場出身で、生産現場の代表ともいえる神門社長の言葉が再び発した「変わらない」という言葉に、現場の社員もそれを信じることにしたのだろう。
それ以来、ネガティブなことを語る社員の姿はなくなった。だからこそ、5月の新体制スタートにおいて、社員に対して、特別な場を設けて説明することはなかった。
だが、神門社長は、「それでも、社員のなかに不安があることは知っている。今後、島根富士通が成長をするためには、モノづくりの原点に回帰するとともに、これまでとは異なる新たなことに積極的に挑むことが必要。社員とともに、新たな成長に挑みたい」とする。
神門社長は、FCCLがレノボ傘下に入ることが決定して以降、自問自答をはじめた。富士通傘下でやってきたことが通用するのか、レノボ傘下のなかで、なにが求められるのか。
この疑問を解決するヒントとなったのが、「MADE IN JAPANである島根富士通の強みはなにか」ということ。何日も熟考した結果、たどり着いたのが、モノづくりそのものの強みが、島根富士通の強みであるということだった。