皆さんは、「君はとてもうがった見方をするねぇ」と上司から言われたら、どのような気持ちになりますか? 実は、多くの人が「うがった見方」という言葉の意味を履き違えているのだとか。

言われて嬉しいのが正解か、不快に感じるのが正解か。早速、答え合わせをしていきましょう。

■「うがった見方」の正しい意味

「うがった見方」の「うがった」ですが、漢字では「穿った」と書きます。「穿つ」の意味を調べてみると、主に5つの意味があることがわかりました。

1.「穴をあける。突き通す。貫く」
2.「押し分けて進む。通り抜けて行く」
3.「人情の機微に巧みに触れる。物事の本質をうまく的確に言い表す。事の裏面の事情を詮索する」
4.「袴・履物などを身に着ける」
5.「新奇で凝ったことをする」

「うがった見方」に用いられている「穿つ」は3番の意味で、「うがった見方」は、「物事の本質を捉えた見方」「物事を深く掘り下げた見方」という意味になります。

■「うがった見方」の誤用

本来は、「物事の本質を捉えた見方」という意味の「うがった見方」ですが、文化庁が平成23年に発表した「国語に関する世論調査」の結果によると、約2人に1人が「疑って掛かるような見方をする」(48.2%)という誤った意味で使っていることが分かりました。また、本来の意味とされる「物事の本質を捉えた見方をする」で使っている人は26.4%にとどまり、この傾向は全年代に共通して見られました。

なぜ、多くの人が誤用しているのでしょうか。その一つの要因として、「穿つ」の意味の中に「詮索する」という言葉が含まれていることが挙げられます。

「詮索」という言葉は、「疑い深い」「根掘り葉掘り」など少々印象の良くないワードを連想しやすく、詮索した結果もまた、人に知られたくないような、わざわざ表に出さなくてもいいような事実が明らかになることを前提としている場合が多いように思います。

しかしながら、「詮索」という言葉の意味は、あくまでも「細かい点まで調べ求めること」です。例えば、ある言葉の起源を細かく調べ上げようとすることも「詮索」なのです。 また、「穿つ」という言葉を用いた言葉の一つに「穿ち過ぎ」というものがあります。「物事の真相や人情の機微のとらえ方が深入りしすぎて、かえって本質から遠ざかること」という意味の言葉ですが、これが「うがった見方」の意味に影響したとも考えられます。

■「うがった見方」は褒め言葉

多くの人から誤用されている「うがった見方」ですが、本来は、「鋭い洞察力と探究心をもって、物事の本質を捉えようとする見方」に対する褒め言葉なのです。決して、疑い深い人や詮索好きな人に向けて使うべき表現ではありません。

意味を履き違えていると、「随分うがった見方をするんですね」と嫌味で言ったつもりが、相手は褒められたと思って更に詮索してくるかもしれません。また、「うがった見方をするんですね」とせっかく褒めてくれているのに、嫌味を言われたものと勘違いしてしまう可能性も。「うがった見方」は褒め言葉であることを、しっかりと覚えておきましょう。


探究心を抱くことも、本質を捉えようと詮索することも悪いことではありません。しかしながら、知りたいと思う余りに度が過ぎると、相手に不快な思いをさせてしまうことも事実です。

ただの「詮索好きのひねくれ者」と思われることのないよう、相手の気持ちを考えて発言するよう気を付けましょう。