りょう、かづらき、源ノ角ゴシック、源ノ明朝、そして貂明朝。これまで、和文フォントを数多く生み出してきたのが、タイプフェイスデザイナーの西塚涼子さんです。
近年のアドビの和文フォントを一手に引き受けてきた西塚さんですが、実はフォントデザインにある「壁」を感じていて、それを乗り越える過程で生まれたのが、最新のアドビオリジナルフォント「貂明朝」だったそう。今回は、「貂明朝」の制作を中心に、フォントデザインの難しさと楽しさについてお話を伺いました。
――源ノ角ゴシック、源ノ明朝、そして貂明朝と、アドビオリジナルの日本語フォントをこれまで数多く生み出してきた西塚さんですが、最初に制作した和文フォントは何だったのでしょうか?
私がアドビに入社したのは、小塚明朝のメインの文字の制作は完了して、外字や使用頻度が高くない漢字の制作をしていた時期でした。ですから、最初という意味では小塚明朝になります。フォントチームのディレクターで小塚明朝の生みの親である小塚昌彦さんの修正を受けながら外字を作っていく、という流れで仕事をしていました。小塚ゴシックの制作には最初から参加しました。
数年後、小塚さんが退社されることになり、次に誰がフォントデザインを担当するんだとなった時に、私が次の担当者となったんです。タイププロジェクトの鈴木功さんも当時アドビのフォントチームにいらしたのですが、鈴木さんは起業したいという思いを持たれていたので。
――最初にメインで担当したのはどんなフォントですか?
最初の仕事は、InDesignに替えがなの合成フォント(仮名だけを別のフォントに差し替える)の機能が搭載されることにあわせた、かなフォントの制作でした。見よう見まねでクラシックなスタイルを持った小塚明朝の替えがなを作り始めたんですけど、とてつもなく苦労して…。
小塚さんが在籍されている間にもっと食いついて学んでいれば、と今思えば後悔するばかりなのですが、当時はあまり危機感を感じないままフォントの制作を始めて、思い切り壁にぶつかりました…。
――そんな経緯があったのですね。メインのタイプフェイスデザイナーとなったとき、「壁」にぶつかった理由は何だったのでしょうか?
フォント制作という仕事の性質は、いわゆるグラフィックデザイナーのようなものではなく、職人の要素が強くあります。そのため、モリサワ、写研、イワタのような歴史あるフォントメーカーでは、職人になるための学ぶべきノウハウがあると思われます。
一方、私は行きがかり上とはいえ、入社当初の学ぶべきタイミングで、フォントデザインの要となるひらがな、カタカナを経験しないままキャリアが始まってしまいました。そのため、文字の職人としてのスキルに不安があり、どこか自信が持てないままだった部分があります。
そんな不安を払拭したくて、藤原定家の文字をもとに開発したフォント「かづらき」の拡充のために書道を習い始めたりと、試行錯誤を続けてきました。「かづらき」は定家の残した文字が限られていて、一般のフォントのような文字数が用意できなかったので、それなら自分で書くしかないだろうと。
――最新作である貂明朝について、制作のきっかけを教えてください。
「貂明朝」は、「壁」越えてスキルアップするため、一念発起して、フォントデザイナーの大先輩である字游工房の鳥海修さんが開催されている「文字塾」に参加したのがきっかけで生まれました。個人活動として作ったフォントが、後々アドビでの仕事になったという経緯です。
――個人活動が製品になったというのはすごいですね。
アドビは新しいことするのが大好きな会社なんですよ。たとえば、明朝体をどれだけ綺麗に作るかというのも大事ですが、いかにして新しいことをやるか、という方向の話が通りやすかったり、それに対するみんなの士気が上がったりします。もちろん自分もそうなんですけど、新しいことに挑戦したいタイプの人がすごく多いのはありますね。だから、「かわいい明朝体」の制作が受け入れられたのだと感じます。
――貂明朝のテーマを「かわいい明朝体」と決めた理由は?
明朝体、ものすごく数が多いじゃないですか。フリーフォントも含めるとほんとにもう数え切れないぐらいあって。だけど、実は商業印刷物やWebなどで使われている明朝体って、数が非常に限られているんです。游明朝体とか、リュウミンとか、筑紫明朝だとか、筆頭にあがるものは繰り返しさまざまな媒体で使われています。
他社はどんなフォントを出していて、どういうものが市場に無いのか、と考えると、明朝体の「かわいい」枠はほぼないと気がつきました。また、当然のことながら商用フォントはユーザーが使ってくださってはじめて製品として成り立つものですから、どういう明朝体が出てきたら使いたいと思ってもらえるかと考えて、今回のテーマにたどり着きました。
――すでにあるフォントと差別化した部分は?
優しい雰囲気の明朝体にくらべて、懐(※)の締めぐあいが違うと思っています。懐を大きくすると、ちょっとふくれた明朝体みたいになるんですよね。例えば、児童書やユニバーサル系の本文に合いそうな感じになります。
※「あ」であれば左の○の中の部分。文字の内側の空間のこと。
一方、貂明朝では懐はやや締めつつも、先端が丸くてのびのびした形を意識して作りました。鳥獣戯画のような歴史ある日本古来のかわいさを表現したかったので「クラシック感」を追求したのですが、クラシックさは本来かっこいい要素なんです。かわいいとクラシック、相反するベクトルをどうまとめるかっていうさじ加減がものすごく難しかったところです。
――貂明朝のここがベーシックな明朝体と違う、というところを教えてください。
ベーシックな明朝と大きく違うのは、先端が丸いということですね。先端が尖るだけで文字は一気にかっこよくなります。途中でそこに気がついたので、今になって途中の案を見ると、かなりシャープに見えます。
――確かに、一般的な明朝体は、はらいなど先端がシュッとしていますね。
そうなんです。先端の尖りが残っていた当初の貂明朝はパッと見た時に、概ね9割ぐらいの人がかわいい!って思うところには行っていなくて、よくよく見るとわかるかわいさみたいな感じになってしまっていたんです。試行錯誤をくり返して、リリースが迫る中、漢字にすべて修正をかけたりして、かなり苦心して今のかたちになりました。
「かわいい明朝体」というのは、思った以上にとてつもなく大変で。制作中に「だから市場には見当たらないのか…」って気がつきました。
――つまり、市場に無いと言うのは…。
そういうことなんです(笑)「源ノファミリー」のように言語をまたいで使えるフォントファミリーがこれまで無かったのと同じで、作るのがとてつもなく大変だから無いんです(笑)