トランプ大統領は3月8日、鉄鋼とアルミにそれぞれ25%と10%の関税を賦課する大統領令に署名した。署名に先駆けて、トランプ大統領はツイッターで「貿易戦争は良いことだ。そして簡単に勝てる」と嘯(うそぶ)いている。
コーンNEC(国家経済会議)委員長やティラーソン国務長官といったグローバリストが去り、トランプ政権はますます内向きの傾向を強めると懸念される。中国からの輸入品を標的として関税を課すことも検討されている模様であり、かなりキナ臭い。
ラガルドIMF(国際通貨基金)専務理事が懸念を表明したように、「貿易戦争に勝者なし」が経済に関わる者にとっての常識だろう。したがって、本稿のタイトルに対する答えを先取りすれば、「誰もいない」となる。
昨年12月に、世界銀行は「The Global Costs of Protectionism(保護主義の世界的なコスト)」と題する報告書を発表した。同報告書は、各国が保護主義を強めたケースとそうでないケース(現行通り)を比較して経済的コストを試算したものだ。そこでは、WTO(世界貿易機関)に加盟する各国が協定で定められた上限まで関税を引き上げるケースを想定している(=つまりどの国もWTOの協定に違反しない)。その場合、関税の平均は現在の3%弱から10%強まで上昇する。
それによると、3年後(2020年)の世界の貿易額は、関税引き上げのないケースに比べて2.6兆ドル、率にして9.0%縮小する。そして、世界貿易の縮小によって、世界のGDPは同じく3年後に6,340億ドル、0.8%減少するとのことだ。
保護主義によって、貿易依存度の高い国・地域ほど経済に打撃を受ける。大きな打撃を受けるのは、南アジア(関税引き上げのないケースと比べて3年後のGDPが4.2%減)、東アジア(同2.0%減)など。中国は国内経済が大きいためか、悪影響はそれほどでもない(同0.8%減)。米国やEUへの悪影響は比較的小さいが、無傷というわけでもない(それぞれ同0.4%減)。
ここで紹介した世界銀行のレポートは、各国がWTOの協定を順守することが前提となっている。仮に、協定に違反するような関税の引き上げ合戦が起これば、さらに大きな悪影響が出るはずだ。
冒頭で述べたように、トランプ政権は鉄鋼・アルミに対する関税賦課を華々しく打ち上げた。しかし、それだけでは経済効果は非常に小さいと言わざるを得ない。
米商務省の統計によれば、2017年に鉄鋼やアルミが米国の輸入全体に占めるシェアは3%程度に過ぎない。そのうち、鉄鋼に関して言えば、カナダからの輸入が全体の16%、メキシコからが同9%。両国からの鉄鋼輸入は、NAFTA(北米自由貿易協定)の見直し中ということで関税の対象外になる。その他にも条件を満たせば、特定の国が対象外となるケースは出てきそうだ。その意味では、関税賦課は初めから骨抜きだとも言える。なお、トランプ大統領が対米貿易黒字の大きさを批判している中国からの鉄鋼輸入は全体の2%、日本からは同5%に過ぎない。
また、米労働省の統計によれば、製鉄業に従事する雇用者数は9万人弱。その他の鉄鋼関連を含めてもせいぜい20万人程度だろう。これは雇用者数全体のわずか0.1%だ。そもそも経済のサービス化が進んだ米国において、製造業の雇用は全体の8.5%に過ぎない。
上述の米商務省の統計によれば、鉄鋼の輸入浸透度(国内で消費される鉄鋼のうち輸入品の割合のこと)は約30%だ。輸入品が全て国産品に置き換わったとしても、雇用の増加分はせいぜい数万人程度だろう。また、企業が、先の分からない関税を頼みにして、稼働開始やコスト回収までに時間のかかる設備投資に踏み切るかと言えば、それも大いに疑問だ。
もっとも、トランプ政権が次々と関税の対象を拡大すれば、それだけ輸出国からの報復措置の可能性も高まる。鉄鋼やアルミへの関税賦課は、貿易戦争の始まりを告げる打ち上げ花火となるのか、今後のトランプ政権の出方に十分な注意が必要だろう。
ところで、3月19-20日にブエノスアイレス(アルゼンチン)で、G20財務大臣・中央銀行総裁会議が開催される。そこでは通商政策も議論されるだろう。昨年7月のG20ハンブルグ・サミットでは、合意された5分野のひとつが通商政策であった。いわく、「開かれた市場を維持し、全ての不公正貿易慣行を含む、保護主義と引き続き戦うこと」。果たして、G20 は足並みを揃えることができるのだろうか。
執筆者プロフィール : 西田 明弘(にしだ あきひろ)
マネースクウェア・ジャパン 市場調査部 チーフエコノミスト。1984年、日興リサーチセンターに入社。米ブルッキングス研究所客員研究員などを経て、三菱UFJモルガン・スタンレー証券入社。チーフエコノミスト、シニア債券ストラテジストとして高い評価を得る。2012年9月、マネースクウェア・ジャパン(M2J)入社。現在、M2JのWEBサイトで「市場調査部レポート」、「市場調査部エクスプレス」、「今月の特集」など多数のレポートを配信する他、TV・雑誌など様々なメディアに出演し、活躍中。