岡崎京子原作、行定勲監督、二階堂ふみ×吉沢亮主演『リバーズ・エッジ』が第68回ベルリン国際映画祭のパノラマ部門で国際批評家連盟賞を受賞した。

批評家たちに革新性の高さを認められたこの映画は、1993年に発表されて人気を博した漫画を原作にしている。その時代は、阪神淡路大震災も、9.11アメリカ同時多発テロも、3.11東日本大震災もまだ起こっておらず、高校生である登場人物たちの身に降り掛かっていたのは、華やかなりしバブル景気の終わった残骸であった。もっとも高校生たちには直接バブルは関係なく、作品のなかに具体的に描かれてはいない。ただただ得体の知れない閉塞感だけが執拗に描かれている。それを映画では「平坦な戦場」と呼ぶ。

  • 吉沢亮(左)

病んだ登場人物たちが描かれる

登場人物はほぼ全員病んでいる。ざっと紹介すると、主人公の若草ハルナ(二階堂ふみ)はそれほど好きでもない男の子とつきあっている。一事が万事その調子で何に対しても冷めている。ボーイフレンドの観音崎(上杉柊平)はやたら暴力的でハルナ以外の人間をそのはけ口にしている。ハルナと友人にもかかわらず、ひそかに観音崎とセフレ関係にあるルミ(土居志央梨)は妻子ある男性ともつきあっている。観音崎に暴力をふるわれている山田一郎(吉沢亮)は、ゲイであることを世間に隠していて、いじめや自分の本心を明かせないストレスをある秘密で凌いでいる。その山田が好き過ぎて、半ばストーカー気味になっていく田島カンナ(森川葵)、山田のある秘密を共有する吉川こずえ(SUMIRE)は過食と嘔吐を繰り返している。いわゆる、精神的に病んでいると言われる症例の代表のようなひとたちの集まりだ。

あるとき、ハルナは、観音崎に酷い目に遭った山田を助け、その御礼に、川べりの原っぱの中に隠した山田の宝物を見せてもらう。それは白骨化した死体だった。これを見ると癒される山田をはじめとして、登場人物たちはみんなそれぞれ何かしらで心の安定を図ろうとしていて、それは過剰なセックスであったり暴力であったり食事であったりする。だがそれだけでは足りなくなって、じょじょに気持ちが溢れ、ついには誰も彼もが決壊していく。

表面的にはみんなおしゃれで肌なんかすべすべで旺盛な性欲含めて若いエネルギーを放ちまくっているけれど中身は、まるで、彼らの街を流れる淀んだ川のようだというお話を、行定監督はあえて、4:3のスタンダードサイズの画面にして、彼らの閉塞感を表した。「インスタグラム時代ですから、むしろ現代的だと受け入れられるはず」(文春オンラインのインタビューより)とさえ語っていたが、その四角い画面には「インスタ映え」なんていう言葉とは真逆の、くすんだ感情や行為が映っている。

物語の中で救済を見せた吉沢

時代も、環境も、いまとは違うというのに、ぐいぐいと心の内に迫ってきて窒息しそうな物語のなかで、唯一の救済は、吉沢亮だった。

主人公を演じた二階堂ふみも、この映画企画の発端でもあって、ひじょうにすばらしいが、彼女は、2013年にベネチア国際映画祭で最優秀新人賞にあたるマルチェロ・マストロヤンニ賞を受賞するなどすでに俳優として確実な実績があるので、ここでは、これからが期待できる吉沢亮について積極的に書きたいと思う。

『リバーズ・エッジ』で吉沢亮の何が良かったかというと、眼帯がみごとに似合っていたことだ。

眼帯とは多分にフェチ心をくすぐるアイテムであり、漫画やアニメには眼帯キャラが登場することが多い。原作は漫画であることも手伝って、いじめられっ子の山田一郎の肉体はどんどん傷つけられていき、頬にバンドエイドをしたあとは、眼帯をするまでに至る。

漫画やアニメに眼帯キャラが多いといっても、男性の眼帯キャラは強いキャラが多い。しかも、キャプテンハーロックとか伊達政宗とか、黒いものをしていることが。それはたいてい名誉の負傷という強さの現れだ。だが、山田一郎の場合は白い医療用の眼帯でそれらとは違う。どちらかといえば、綾波レイ的な……つまり、どこか欠損したところに人は惹かれてしまうというようなものだ。吉沢亮は、山田一郎の欠落の美を完璧に仕上げた。

映画がはじまってからずっと、山田は虚ろな瞳をしていて、その瞳がある瞬間、ものすごい威力を発揮するのがクライマックスだ。そこに行くまでのすこしの間ではあるが、眼帯は、いい架け橋となっている。

男子の憧れも女子の理想も

まるで、あの世とこの世の間の幽玄の美の域を演じたかのような吉沢亮、本人は、身体的には儚げではなく、わりとがっしりしている。映画のなかで身体をさらす場面で、それがよくわかる。なにしろ、剣道2段の腕前で、映画『銀魂』(17年)で真選組一番隊隊長の沖田総悟役を颯爽と(ときどき面白く)演じていたし、出世作はヒーローアクションもの『仮面ライダーフォーゼ』(11年)の仮面ライダーメテオである。

身体能力の高さと並び、端整な顔だちを生かして、ライダー以降は『カノジョは嘘を愛しすぎてる』(13年)、『アオハライド』(14年)、『オオカミ少女と黒王子』(16年)など少女漫画原作恋愛ものにもよく出ていて、次回作は、大人気少女漫画『ママレード・ボーイ』(4月27日公開)も控えている。

アクションもので男子たちの憧れ、少女漫画もので女子たちの理想と、2本柱でやってきた吉沢が、『リバース・エッジ』ではキラキラや健やかさを封印して、心によどみを抱え、二重の距離が少し空いた、空洞みたいな大きな瞳をキープし続けながら、猫と好きな男の子を見るときだけは、自然に顔をほころばせる。それが吉沢亮の放つ、この映画、最大の救済のように思えた。それこそが、平成も終わろうとしている2018年に提示する、「平坦な戦場」で生き残る、冴えたやり方なのではないか。

生きている実感の、やわらかさ。それがあるから、生きていきたい。吉沢亮の存在に、それを見た。

(C)2018「リバーズ・エッジ」製作委員会/岡崎京子・宝島社

■著者プロフィール
木俣冬
文筆業。『みんなの朝ドラ』(講談社現代新書)が発売中。ドラマ、映画、演劇などエンタメを中心に取材、執筆。著書『挑戦者たち トップアクターズ・ルポルタージュ』『ケイゾク、SPEC、カイドク』、構成した書籍に『庵野秀明のフタリシバイ』『堤っ』『蜷川幸雄の稽古場から』などがある。最近のテーマは朝ドラと京都のエンタメ。