気比の松原(福井県敦賀市)は、三保の松原(静岡県静岡市)、虹の松原(佐賀県唐津市)と並び、日本三大松原のひとつに数えられる景勝地だ。昭和9(1934)年には国の名勝に指定され、若狭湾国定公園の一部でもある。その景観美は見事なことで知られており、空に浮かぶ月の美しさには思わず目を奪われてしまうほどだ。

  • 氣比神宮の芭蕉像。芭蕉は『おくのほそ道』の中で、敦賀でのことを10句詠んでいる

    氣比神宮の芭蕉像。芭蕉は『おくのほそ道』の中で、敦賀でのことを10句詠んでいる

ところが北陸地方というのは、天気が変わりやすいことでも知られている。江戸時代に活躍した俳人・松尾芭蕉もまた、気比の松原で月の美しさに酔いしれようとして、雨に阻まれてしまったひとりだ。芭蕉が『おくのほそ道』の旅の終焉地として選んだのが敦賀であった。今回、芭蕉が見た光景を追体験してみたい。

芭蕉の足跡をたどれるパワースポット

芭蕉は芸術性の極めて高い句風を確立させており、後世には俳聖として世界的にも知られる俳人としても知られている。1689年5月16日(元禄2年3月27日)、芭蕉は弟子の曾良を伴い江戸を出発、奥州から北陸道を旅する。この紀行文が『おくのほそ道』であり、その行程は150日にも及んだ。

芭蕉がたどり着いた敦賀には、景勝地が多いこともあり、芭蕉は全部で10句を詠んでいる。なかでも、月が美しいことで知られていたのが「氣比神宮」と「気比の松原」であった。

氣比神宮の建立は定かではないが、『日本書紀』や『古事記』には早い時期から登場している。大宝2(702)年、文武天皇の勅命で大神とのご神縁により、仲哀天皇・神功皇后・日本武尊・応神天皇・玉妃命・武内宿禰命の神々が合祀され、7柱のご祭神を祀る北陸道の総鎮守となった。

その際、神宮は修繕されたのだが、突如として地下水が湧き出たという。武内宿禰命が長命の神ということもあり、それ以来、1,300年以上の長きにわたり、この湧き水は神水として信仰され、「長命水」として多くの人が訪れるようになっている。

  • 長命の神・武内宿禰命になぞらえれた、亀の石像から注がれる「長命水」

    長命の神・武内宿禰命になぞらえれた、亀の石像から注がれる「長命水」

今日では、氣比神宮へはJR敦賀駅からバスで3~4分でたどり着ける。また、神宮にある高さ約11mの鳥居は、春日大社(奈良県奈良市)、厳島神社(広島県廿日市市)と並ぶ日本三大木造大鳥居のひとつだ。残念ながら境内にある建築物は、第二次世界大戦の空襲で大半が焼失してしまったが、この大鳥居は芭蕉が来訪した当時から現在まで残っている。

  • 氣比神宮の表参道口の大鳥居も、見どころのひとつ

    氣比神宮の表参道口の大鳥居も、見どころのひとつ

芭蕉が句に詠んだ「砂の上」はどこ?

芭蕉が敦賀港に宿をとったのは旧暦の8月14日、その月夜は見事なものであったという。これに感動した芭蕉は、宿の主人に「明日の十五夜もこのような素晴らしい名月を見られるか」と尋ねたところ、「この土地の天気は変わりやすいから、明日は分からない」と言われてしまう。

また、氣比神宮の前にある白い砂が「遊行の砂持ち」と呼ばれる伝統となった経緯を聞き及び、氣比神宮を参拝することにした。その時に詠んだのが次の句である。

「月清し 遊行の持てる 砂の上」

これは、遊行二世上人が気比明神への参詣を楽にするために運んだと言われる白い砂、そしてそれを照らす月の光が何と神々しく美しいことだろうと詠んだものだ。筆者もこの風景を探してみたが、現在の氣比神宮の前には白い砂はないようだ。

見逃した「名月」、本当はどこから見たかったの?

芭蕉の旅に戻るとしよう。この句を詠んだ翌日、宿の主人が言ったように雨となってしまった。十五夜の月を拝むことができなかった芭蕉は、その心中を次のように詠んだという。

「名月や 北国日和 定めなき」

その際、芭蕉が訪れて名月を眺めたかったのは、「気比の松原」だったと考えることはできないだろうか。気比の松原は長さ約1.5キロメートル、広さ約40万平方メートルという広大な敷地、象徴的な白い砂浜とそこに群生する青松が織りなす白と青のコントラストが美しい景勝地。他にも赤松、黒松が約1万7,000本も生い茂っている。

  • 名勝「気比の松原」は歴史と文化に親しめるスポット

    名勝「気比の松原」は歴史と文化に親しめるスポット

  • 気比の松原は日本三大松原のひとつに数えられている

    気比の松原は日本三大松原のひとつに数えられている

中秋の名月を見逃してしまった芭蕉だが、これだけ多くの句を詠んだ敦賀の地が、いかに心に残った土地なのかが垣間見ることができる。今日では、気比の松原へはJR敦賀駅からバスで約15分、氣比神宮からもバスで12分という道のりとなる。

  • 気比の松原では、海と松のコントラストを楽しみたい

    気比の松原では、海と松のコントラストを楽しみたい

敦賀には間もなく、新幹線が開通する予定となっている。誰もがアクセスしやすくなり、かつて芭蕉が歩いた絶景を気軽に散策することも可能になるはずだ。

しかし、遠い昔、彼らは長い月日と険しい道を歩んで、その地を訪れた。そこでは自然の力に阻まれ、せっかくの出会いを逃してしまうことも多かったはずだ。そうした過去の偉人たちの思いを胸に、こうした景勝地に立つこともまた、歴史を歩く上での楽しみになってくるに違いない。