このほど、中学生としては史上初の五段に昇段した藤井聡太棋士。そのめざましい活躍に将棋ファンのみならず、多くの子育て世代も関心を持っています。
類い稀なる才能はどのように育まれたのか。著書『弟子・藤井聡太の学び方』を出版された、藤井五段の師匠・杉本昌隆七段にインタビューしました。
子どもが主張できる環境の大切さ
――杉本七段は、藤井五段が小学4年生の頃から指導にあたられています。ご家族とのお付き合いもあるかと思うのですが、親御さんの接し方や子育て方針についてどのような印象を持たれていますか?
やりたいことをやらせる、子どもの意思を尊重されているご家族だなという目で見ています。あれをやりなさい、これをやりなさいといった感じで引っ張っていくのではなく、自主性に任せて後ろからじっと見守っている印象を強く受けましたね。
例えば、藤井が小学生の頃、将棋を指している部屋の中に、お母さまは一切入ってこられませんでした。いつも廊下で待っていて、対局姿はご覧にならないんです。
――邪魔したくないということなんでしょうか?
いろんな意味があると思います。子どもがやっていることを尊重し、将棋については指導者に任せるというお考えなのかもしれません。それに、見ているといろいろ言いたくなりますよね、あのときは姿勢が悪かったとか、口のきき方がよくないとか……。これは私の想像ですが、そういう風に口出ししない方がいいと判断されてのことなのかなと思っています。
――一歩引いた目で見守られている?
例えば、藤井は対局で負けたとき、悔しくて大泣きすることがあったんですが、お母さまが慌てている様子は見たことがないですね。子どもが泣いてしまうとお母さん自身が恥ずかしいと思われて、泣きやませようとするケースもあると思うんですが、ある程度泣かせておいて、最後には会場から連れて出て行かれていました。
一歩引いて、客観的にお子さんをご覧になっているなと思いました。お子さんがその道で成長していくために何が必要か、しっかり見極めていらっしゃる印象です。
――藤井五段が使っていたというおもちゃ・キュボロやモンテッソーリ教育が話題になっていますが、そういったご家庭での教育方針も今の活躍に結びついているのでしょうか?
藤井に合っている教育法だとは思いますが、それは今の藤井五段を作るほんの一部分ではないでしょうか。それよりも、本人が思ったことを言える環境が家庭にあり、のびのびと育ったことが大きく影響しているように思います。
藤井は大人相手にも、将棋盤の上で萎縮することは全くなかったし、自己主張もちゃんとできる子です。ご家庭で、1人の人間として尊重されてきた結果なのかなと私は考えています。
――師匠にもきちんと主張される?
昔はあんまり意見を言わないほうでしたけどね。将棋の盤面に関しては、強い信念を持っているんだろうと感じましたし、はっきり否定はしませんが、不満そうな顔をすることで暗に私の手を否定しているなと思うことはあります(笑)。
最近は「これはこちらの手の方がいいと思います」とはっきり意見を主張することもあります。
――主張しあえる関係性を築かれているんですね
大人だから何も言われなくていいとか、成長しなくていいということはないでしょうし、子どもって大人が思う以上にいろいろ考えています。年長者が若い人の意見を聞くのはみっともないと思ったり、自分の人生観を否定されるような気持ちになったりすることもあるかもしれませんが、それはもったいない。聞く耳を持って、初めから拒絶しないことは意識しています。
私も子どもがいるので思うのですが、親ってずっと子どものことを見ているので「この子は何もできない」って思ってしまいがちです。しかし子どもは、日々成長している。親でもはっとするようなことをいつの間にか知っているものなんですね。それを尊重してあげるべきだし、その大前提があって付き合えれば、師弟関係でも親子関係でも、良い関係が築けるのではないかと思います。
親がうっかりしていた方が子どもの自主性は育つ
――本書の中では「弟子たちに将棋の具体的な勉強法を指示することはない」とありました
"正解なんてない"というのが将棋に対する大前提ですし、これは人生においても、子育てにおいても言えることなのではないでしょうか。
例えば習い事にしても、親が得意分野であったり、経験者であったりすると、自分の経験から伝えようとしますよね。それはそれで素晴らしいことだと思うのですが、親と子どもって性格も時代も環境も違うわけで、それぞれに適した勉強法があるはずなんです。
――どうしたら指示しなくても、子どもが自発的に取り組んでくれるのでしょうか?
親がしっかりしすぎていない方がいいなと思うことはありますね。親がしっかりしすぎていると、それに従うだけになってしまって子どもは考えなくなります。
子どもと出かけるとき、私はよく道に迷うんですが、どうしたら目的地に着けるか、子どもが考えてくれるようになりました(笑)。私が道に詳しければ、問答無用で目的地に連れて行って終わりですが、うっかりが多いからこそ、子どもが考えます。
――将棋の指導でも同様のことは言えますか?
例えば将棋を指導しているときに、あえてうっかりミスをしてみることはありますね。そうして弟子や子どもたちから咎められるか試すのです。うまく咎められたときには「そんな手があったのか、知らなかった!」と言ってみせて、喜ばせます。
またある局面で、子どもたちから聞いた打開策を使って勝ったときには、そうでなかったとしても「君のおかげで勝てたよ」と声をかけます。そうすると、大体の子どもが満面の笑みを浮かべます。役に立ったり、頼られたりすると、どんな子でもうれしいんですよね。
――自信にもなりますし、自分で考えようという気持ちになりますよね
考えている時間は、成長の源です。結論が出なくてもいいから、自分の頭で考えることが大切です。
何か子どもが黙ってじっと考えている、口ごもって言えないでいる……そんなとき、「どっちなの?」と催促したり、せっつくようなことをしたりしては、せっかくの成長するきっかけを摘んでしまうのではないかなと思います。
いいお父さんお母さんであろうとしすぎなくていいと思いますし、時間をかけてずっと子どもを見てあげることがいいとも限りません。完璧にレールを引いてあげることがいいのかも、怪しいと思っています。
次ページでは、杉本七段が考える子どもの才能の見つけ方、伸ばし方などについてお聞きします。