KDDIは1月31日、都内で緊急記者説明会を開催し、2018年4月1日付の役員人事を発表しました。代表取締役 執行役員副社長の髙橋誠(たかはしまこと)氏が新たに代表取締役 社長に就任し、現職の田中孝司社長は会長に退く予定です。
このタイミングが望ましかった
開口一番、「皆さん、突然の話で申し訳ございません」と田中社長。まずは社長職の交代を決断させた、業界を取り巻く環境の変化について次のように説明します。「携帯電話事業者間の競争は、さらに激しくなるでしょう。一方で通信事業そのものは今後、非通信事業と一体になり新しい方向にトランスフォームしていくことが予想されます」。
4月からの新年度は、3年間のスパンで進めてきた中期経営計画の最終年度となります。しかしながら「次の経営計画を決定する非常に重要な1年でもある。そこで、このタイミングで新社長に引き継ぎ、新たな社長の下で中期計画を策定することが望ましいと判断しました」と田中社長は述べました。
通信とライフデザインが融合する時代に
髙橋氏は1961年10月24日滋賀県生まれの56歳。横浜国立大学 工学部を卒業し、1984年に京セラに入社、同年に第二電電に移りました。現在は副社長に加えて、全社新事業担当とバリュー事業本部長を兼任中です。田中社長は、髙橋氏について「常に先頭に立って新規事業を推進してきた人物。これからKDDIがライフデザイン事業に舵を取る上で最適の人事」と評価します。
髙橋氏は「大きな変革機にある中で、こうした重責につかせていただくことは身の引き締まる思い。5G、AI、IoT、ビッグデータなどワードが飛び交う世の中にあり、お客さまを主体に考えたとき、何が実現できるか、ワクワクする思いでいます。新しいことにチャレンジしていきたい」と挨拶しました。
そして「ライフデザイン企業への変革だけでは足りない。色んな産業、ビジネス、サービスそのものとインターネットを組み合わせていく。やがて訪れる"通信とライフデザインの融合の時代"において、サービスプロバイダとして、プラットフォーマーとしてお客様や企業様と一緒になりながら新しい事業を開発していく。動きが非常に激しい世の中にあり、KDDIでは通信とライフデザインの融合を目指す先導役になる。KDDI自体をトランスフォームしていきたい」と抱負を語りました。
iPhoneはどんな存在だった? "田中プロ"が振り返る
質疑応答では、記者団からさまざまな質問が寄せられました。
どのようなタイミングで話があったのか聞かれると、髙橋氏は「2017年11月末に田中社長に呼ばれた。来年度が中期計画の最終年なので、そこまで田中社長が続けられるだろうと思っていたので、その話があったときは頭が真っ白になったが、その場でハイと答えた。そんな短い期間での話だった」と明かします。
いつごろから、髙橋氏を後継者に考えていたのでしょうか。田中社長は「社長になると、なったときから後継者を考えはじめる。これまでも常にタイミング、タイミングで後継者を考えてきた。もう就任して7年あまりになる。あまり長くやるとろくなことがない(笑)。世の中が変わっていくのが感じられたので、いまのタイミングになった。そこで11月末に引き継ぎの話をした」と話しました。
メディアやネットユーザーから"田中プロ"の愛称で親しまれた田中社長。社長就任中にさまざまな取り組みをしてきました。そのうちの大きな出来事がauでのiPhone取り扱い開始です。田中社長にとってiPhoneとは、どんな存在だったのでしょう。
「社長就任時は、スマートフォンの参入が遅れていた。メーカーさんを問わず色んなスマートフォンを採用する中で、個人的にもiPhoneはどうしても扱いたかった。私は1984年のMacintoshの時代からMacユーザー。UIなど、日本人の美意識にアピールするものと感じていた。そこで導入できるように頑張った。その結果として、KDDIの業績にも多大な貢献をしてくれたと思っている。日本人がスマートフォンに踏み出すことにも、iPhoneは寄与してくれた。いま振り返って、そう思う」(田中社長)。
田中社長は、メディアとの関係について「できるだけメディアさんとコミュニケートできるようにしてきた。メディアさんから学ぶことも多かった。私は関西人なので、笑いを大事にしてきた。いろいろな場面でご指導いただき、ありがたかった」と話します。
新社長 高橋誠氏の人柄は?
髙橋氏は、どんな人柄なのでしょう。髙橋氏が新卒で入社したのは京セラでした。その経緯について聞かれると、髙橋氏は「大会社の歯車にはなりたくなかった。そこで就職先には、当時ベンチャー企業だった京セラを選んだ。その想いは現在もあり、ベンチャー企業の育成にも注力している。京セラに入社すると電気通信の自由化が行われた。第二電電をつくる、王者NTTに対抗するという話があった。競争原理を持ち込むことで、サービスがよくなる。それを素晴らしいことと思った。第二電電に入社して、そのころから通信に本腰を入れて取り組んでいる」と説明します。
これまでに印象に残っている仕事を聞かれると「通信事業者は、いろんなものを乗り越えてきた。固定電話が携帯電話に代わり、フィーチャーフォンがスマートフォンに代わった。新しいことにチャレンジしてきた。すべて体験できたことが印象に残っている」(髙橋氏)。
得意なこと、苦手なことはあるのでしょうか。髙橋氏は「仕事柄、通信事業者以外の人とも付き合いがある。音楽、エンタメ、金融などいろんな産業の方とも交流してきた。それが得意なこと。苦手なことは、34階の社長室に居ること。ひとつのところに留まっているのが苦手。あちこち歩き回って、色んな情報を入れたい」とにこやかな表情で話していました。
最後に田中社長に質問。なぜ、髙橋さんだったのでしょうか。「KDDIもチャレンジを続け、変わっていかなくてはならない時期。髙橋はリスクがあっても前に進める力がある。いまの時代、適任だと思って太鼓判を押した」(田中社長)。
最後に力強い握手が交わされ、記者説明会が終了しました。