1月7日から放送がスタートしたNHK大河ドラマ『西郷どん』。主人公の西郷隆盛といえば、日本人なら誰もが知る明治維新の功労者であるとともに、最も有名な鹿児島出身の偉人でもあるだろう。今回は、西郷が育ち生活した、鹿児島に残る史跡を紹介しよう。

  • 鹿児島市美術館そばにある、軍服姿の西郷隆盛銅像。像本体だけで6m近くの大きさがある

    鹿児島市美術館そばにある、軍服姿の西郷隆盛銅像。像本体だけで6m近くの大きさがある

大河ドラマの鈴木亮平さん演じる西郷は、農民と同じような薄汚れた格好で登場しており、「庶民の味方」というパブリックイメージそのもの。ところが、鹿児島市中心部に立つ西郷隆盛銅像は印象が全く異なる。軍服を着用して背筋を伸ばし、精悍な表情でまっすぐ前を見つめているのだ。後年、明治天皇の護衛をしていた時の姿がモチーフと言われており、"武士(もののふ)"の気概を感じさせる。市内のスポットはコンパクトにまとまっているため、ここを中心に鹿児島を巡ってみよう。

西郷ら幾人もの英傑を生み出した下加治屋町

まずは、西郷の生まれ育った下加治屋町へ。鹿児島中央駅のすぐ東、現在の加治屋町の一部にあたる下加治屋町は、西郷の他にも大久保利通、東郷平八郎、大山巌といった、明治期の偉人を何人も輩出した地域である。彼らの生誕地を示す碑がそこここにあるほか、映像やゲームなどで明治維新を分かりやすく学べる「維新ふるさと館」もある。ここで西郷や鹿児島の歴史をおさらいしていくといいだろう。

  • 西郷隆盛誕生地の碑。弟の従道の誕生地でもある

    西郷隆盛誕生地の碑。弟の従道の誕生地でもある

  • 維新ふるさと館は2018年1月にリニューアルし、郷中教育などについての展示が新登場

    維新ふるさと館は2018年1月にリニューアルし、郷中教育などについての展示が新登場

維新ふるさと館が建つのは、「維新ふるさとの道」と名付けられた遊歩道の途中だ。大久保利通の銅像前から出発するこの道は川沿いにあって散歩にうってつけ。薩摩藩特有の教育制度「郷中(ごじゅう)教育」で習ういろは歌の碑などを見つつ、散歩気分で徒歩10分ほど南下すると「西郷どん 大河ドラマ館」があり、大河ドラマ内で使用した撮影セットや衣装、メイキング映像などが見られる。

  • 西郷の盟友・大久保利通の銅像。冒頭で紹介した西郷の銅像に遅れること50年、昭和54(1979)年に立てられた

    西郷の盟友・大久保利通の銅像。冒頭で紹介した西郷の銅像に遅れること50年、昭和54(1979)年に立てられた。ポケットに入れた右手は彼の思慮深かさを、左手は一度決めことは最後まで曲げずにやりきったという彼の性格を表している

  • 維新ふるさとの道。西郷が勉学に励んだこの地は現在、地元の憩いの場となっている

    維新ふるさとの道。西郷が勉学に励んだこの地は現在、地元の憩いの場となっている

主君・斉彬が最先端技術を研究した仙巌園

西郷に大きな影響を与えた主君・島津斉彬とゆかりが深いのが、下加治屋町からバスで20分ほどの場所にある「仙巌園」。ここは薩摩藩の歴代藩主・島津家の別邸であり、斉彬が大砲や船、ガラスといった富国強兵のために集結させた「集成館事業」の工場群があった場所でもある。そのため、反射炉と呼ばれる鉄を溶かす融解炉の跡や、元金属加工工場だった博物館、伝統のガラス工芸・薩摩切子の工場などが建ち並ぶ。薩摩切子の工場は休憩時間以外、自由に見学可能だ。

  • 反射炉跡。当時は2つの煙突が建っていたが、現在は地下部分しか残っていない

    反射炉跡。当時は2つの煙突が建っていたが、現在は地下部分しか残っていない

  • 工場内で薩摩切子に磨きをかけている工程。斉彬が工芸品として発展させた薩摩切子は、一度技術が途絶えた後、昭和60(1985)年に復活した

    工場内で薩摩切子に磨きをかけている工程。斉彬が工芸品として発展させた薩摩切子は、一度技術が途絶えた後、昭和60(1985)年に復活した。薩摩切子工場隣のギャラリーショップで、実際に薩摩切子を購入可能

一方、藩主の別邸としての面影が残るのは、園内でも奥の方、御殿や庭園が残るエリアだ。御殿は斉彬の甥で跡継ぎとなった島津忠義時代のもので、時間に余裕があれば御殿内を巡れるガイドツアーに参加したい。

御殿の目の前には桜島を借景とした日本庭園が広がり、勝海舟と斉彬が対談したという中国風の東屋・望巌楼が建つ。御殿の背後の山にある人力で「千尋巌」と書かれた巨石、猫を祀った神社など珍しいスポットにも事欠かない。また、大河ドラマ『西郷どん』1話の舞台としても登場している。

  • 庭園から見る桜島。海沿いにある仙巌園からは桜島がよく見えるため、お気に入りの写真スポットを探すのもいいだろう

    庭園から見る桜島。海沿いにある仙巌園からは桜島がよく見えるため、お気に入りの写真スポットを探すのもいいだろう

  • 藩主たちが歌会を行う庭へ通じるこちらの階段は『西郷どん』1話に登場。また、2008年の大河ドラマ『篤姫』でも撮影に使用された

    藩主たちが歌会を行う庭へ通じるこちらの階段は『西郷どん』1話に登場。また、2008年の大河ドラマ『篤姫』でも撮影に使用された

  • 千尋巌。江戸時代に3文字で上下11mにもなる文字を彫り、胡粉という白い顔料で塗ったもの。岩に文字を刻むのは中国ではよく見られるが、日本では珍しい

    千尋巌。江戸時代に3文字で上下11mにもなる文字を彫り、胡粉という白い顔料で塗ったもの。岩に文字を刻むのは中国ではよく見られるが、日本では珍しい

ところで、鹿児島の象徴でもある桜島は、見上げる方角によって山の形が異なるのはご存知だろうか。大河ドラマ『西郷どん』のメインビジュアルで使用されている桜島は、実は鹿児島市内から撮影したものではなく、桜島の南にある「有村溶岩展望所」から見た景色である。ちなみに桜島は、西郷が生きていた頃は本当に島だったが、大正3(1914)年の噴火によって現在は陸続きになっている。

  • 有村溶岩展望台から見た桜島。『西郷どん』のHPと見比べてみて

    有村溶岩展望台から見た桜島。『西郷どん』のHPと見比べてみて

"でっかい器"を生み出した離島生活

鹿児島市内から離れたところにある西郷の足跡も辿ってみよう。西郷は若い頃、離島へ流されている。最初は幕府の処罰から逃れるために奄美大島に匿われ、2度目は斉彬の弟・久光と対立した罪で沖永良部島に閉じ込められた。

奄美大島ではまず、予習をかねて「りゅうがく館」へ寄りたい。奄美空港・名瀬港から車で20分ほどで、西郷が島へ行くことになった経緯や島での暮らしぶりについて学べる。さらに10分ほど行くと、西郷ゆかりの品々が展示されている南洲流謫(なんしゅうるたく)跡がある。島で結婚した妻・愛加那や子どもたちと住んだ地で、建物は西郷の死後に再建されたものだが、西郷自ら歩いて決めたというまさにその場所に佇んでいる。

  • 南洲流謫跡。「南洲」は西郷の号。個人が管理しているため、見学には事前予約が必要である

    南洲流謫跡。「南洲」は西郷の号。個人が管理しているため、見学には事前予約が必要である

沖永良部島にある西郷南洲記念館では、展示はもちろんのこと、館前にある西郷像を必ず見ておきたい。一瞬誰だろうと思うほどガリガリにやせこけた西郷像は、野ざらしの牢屋内で過ごしていた姿を再現したものだ。こうした苦難を乗り越えて、西郷の生涯のモットーであった「敬天愛人」の思想が生まれたという。

  • やせこけた西郷の銅像。西郷南洲記念館は和泊港から車で3分、沖永良部空港から20分の場所にある

    やせこけた西郷の銅像。西郷南洲記念館は和泊港から車で3分、沖永良部空港から20分の場所にある

どちらの島もアクセスは大変で、現地での移動も車が前提だ。しかし、人間として慕われた西郷の大きな器は、この島流し時代に大成したといっても過言ではなく、決してスルーはできない場所なのである。次回は維新後、明治政府から帰ってきた晩年の西郷を辿ってみよう。

(文・写真/かみゆ歴史編集部 二川智南美)

筆者プロフィール: かみゆ歴史編集部

「歴史はエンタテインメント! 」をモットーに、ポップな媒体から専門書までの編集制作を手がける歴史コンテンツメーカー。ジャンルは日本史を中心に、世界史、美術史・アート、宗教・神話、観光ガイドなど幅広く手がける。最近の編集制作物に『大きな縄張図で歩く!楽しむ! 完全詳解 山城ガイド』(学研プラス)、『歴史REAL 山城を歩く』(洋泉社)、『エリア別だから流れがつながる世界史』(朝日新聞出版)、『開運 日本の神社と御朱印 コンパクト版』(英和出版社)、『ゼロからわかるインド神話』(イースト・プレス)など。代表の滝沢は、歴史や城関係の講演や講座、メディア出演も行う
「かみゆ」