恋人が難病にかかってしまうお話というと、悲しいラストが待ち受けていることが多いもの。だが、『8年越しの花嫁 奇跡の実話』(瀬々敬久監督 以下ハチハナ)は違う。恋人たちが難病という試練を超えていく幸福なお話だ。そこがいい。元気になる。勇気づけられる。2017年の暮れに公開された映画だが、まだ上映していて、興収20億円も突破する大ヒットとなっている。年のはじめに見る作品としてふさわしい一作だ。
結婚式を3カ月後に控えた幸せいっぱいの尚志(佐藤健)だったが、恋人・麻衣(土屋太鳳)が突如、病で意識不明になってしまう。尚志は、回復を信じて看病を続け、数年後、麻衣はようやく目覚めるが、なぜか尚志のことを覚えていなかった。
努力しても思い出せないことが麻衣の負担になるくらいなら身を引こうとする尚志。とにかく麻衣ファーストで8年。小学1年生が中学2年生になると思うとかなり長い。最初の数年は、意識がない恋人の元に毎日通って、世話したり、話しかけたり、ふたりが話をできない分を埋めるように、スマホ動画を撮り続ける尚志。数年後に麻衣が目覚めるとリハビリにつきあい、誰よりも麻衣に良くしているにもかかわらず、なぜか自分との思い出を覚えられていないなんて……。
でも尚志はくじけない。ほかの誰にも心を寄せることなく、麻衣一筋。こんないい人いないから、麻衣はたとえ思い出せずとも、もう一度、まっさらな心で尚志に恋して、やり直せばいいではないか、世の中にはそういう物語もあるよね、確か…などと思うものの、この映画では、あくまでもふたりの過ごした大切な記憶を大事にする。それによって圧倒的なラストへと導くのだ。
これは実話をもとにしたお話だそうで、こんなことがあるのだなあ、いい話だなあと、原作者ご夫婦の幸せを心から喜んだ。また、back numberの書き下ろし主題歌「瞬き」がじつにいい頃合いで流れるものだから、堪らない。
土屋太鳳を支える佐藤健
なにより、この映画が素敵だったのは、俳優の力によるところが大きい気がする。まず、ある日突然、記憶が曖昧になり、意識まで失ってしまう麻衣を、土屋太鳳が体当たりという言葉がこれほどふさわしいこともなかなかないほど体当たりで演じた。例えるなら、ひとたび走り出したらゴールに向かって猛然と走るとても優秀な競走馬のようで、その姿は強く激しく美しい。
そしてなんといっても、威勢のいい土屋太鳳を献身的に支える佐藤健。彼は『るろうに剣心』シリーズで華麗なアクションを披露して以来、動ける俳優というイメージがあり、17年も『亜人』でもその運動神経を遺憾なく発揮した。その一方で、黙って立っているだけでも、その大きな瞳にあらゆる感情を映し出すことに定評があり、『BECK』(10年)、『世界から猫が消えたなら』(16年)、『何者』(16年)などでは、“静”の演技で観客を釘付けにした。ハチハナも佐藤健“静”バージョンである。
今回は目ヂカラのみならず、全身で、地方都市で毎日こつこつ労働に励む一市民・尚志のリアリティーに迫る。尚志は車の修理工場で終日、泥だらけになって働いていて、麻衣に出会うまでは、その仕事以外に趣味もないような仕事人間。麻衣が病気になってからは、毎日、工場と病院と自宅をバイク(このバイクもごくふつうの小型バイク)で行き来する(ロケ地岡山。川を渡る橋がとりわけ印象的)。
短くカットされた髪や、そのためむき出した首まわりのしっかりした感じは、日々労働しているからこそ出来上がった身体に見える。衣装は地味だけれど、その中の身体はやっぱりそれなりに筋肉がついていそう。毎日、車のパーツの下に潜って精密な作業をしていることで自然に鍛えられているのだと思わせる。
毎日の継続が佐藤を美しくする
公式サイトに掲載されているback numberの清水依与吏のコメントにこういうものがあった。
奇跡、運命、と聞くとひとまず、やたらキラキラしていて触れない位美しいものをイメージしてしまいますが、本当はもっと泥くさくて汗くさくて実はもっとそばにあるものなのかもしれないなと思いました。
佐藤はまさに、泥くさく汗くさい、でもいてくれてすごくうれしい人物になっていた。とはいえ、スクリーンに映し出された佐藤の顔は、特徴的な瞳をはじめとして、鼻筋も通り、横顔なんてパーフェクトに美形である。だが作品のなかでは、その美しさは華やかさではなく、端正な美として静かに機能する。たとえるなら、小さくシンプルなネジ。ロケットや飛行機、車など機械製品を完成させるのに欠かせない、よくできた一本。一流の技術者によってつくられた精巧な(人間は部品であるという意味ではありません、念のため)。そんなイメージだ。
瀬々監督の演出も地に足のついた人間をしっかり見つめているからと思うが、勝手な想像をすると、佐藤がアクションの稽古を長らくやり続けてきたことが、彼のカラダを磨き抜かれた一本の精巧なネジのように感じさせるのではないだろうか。そして、それが、誠実なひとりの男・尚志の像につながったのではないか。
ネジを作るために試行錯誤すること、アクションがうまくなるために鍛錬を続けること、誰かをただただ思い続けること……すべては等価であり、何かを極めるための、毎日の継続が人間の精神性を強く美しくする。そんな哲学的なことを、我々は佐藤健から学ぶのだ。
■著者プロフィール
木俣冬
文筆業。『みんなの朝ドラ』(講談社現代新書)が発売中。ドラマ、映画、演劇などエンタメを中心に取材、執筆。著書『挑戦者たち トップアクターズ・ルポルタージュ』『ケイゾク、SPEC、カイドク』、構成した書籍に『庵野秀明のフタリシバイ』『堤っ』『蜷川幸雄の稽古場から』などがある。最近のテーマは朝ドラと京都のエンタメ。