ドラマ、映画などで見ないことはない個性派俳優・志賀廣太郎。2017年は、TBSドラマ『陸王』での活躍も記憶に新しい。名脇役としての印象が強い志賀だが、テレビ東京で人気を博し放送されてきた『三匹のおっさん』シリーズでは北大路欣也、泉谷しげるとともにご町内のヒーローとして大活躍し、1月2日には新春ドラマ特別企画として『三匹のおっさんスペシャル~正義の味方、史上最大・最後の戦い!…かも?~』(21:00~)も放送される。
その多忙さから、完成披露試写会では泉谷から「TBSの方に行っちまったから……」と言われて苦笑もしていた志賀だが、意外にも、本格的に俳優としての道を進み始めたのは40代のときだという。芸能界になくてはならない存在となった現在まで何があったのか、そして話題の”イケボ”(イケメンボイス)の秘密について話を聞いた。
演劇の基礎を習った学生時代
――志賀さんが演技に興味を持ったきっかけはなんだったんですか?
俳優になりたいと早くから一大決心をしたわけじゃないけど、たまたま幼稚園の園長先生や小学校の担任の先生が、表現や演劇に関わってる方だったんです。特に小学校の先生は、児童演劇協会にも所属されてて、ご自分で脚本を書かれてそれを生徒にやらせるという方でした。
後年知ったんですけど、民芸の俳優教室に通ったこともあるそうで、そういう影響もあって中学ですんなり演劇にはいって。中学でも顧問の方が、自分で書いている方でした。高校でも誘われるままに演劇を続けていました。
――俳優を目指される方って、こんな俳優さんに憧れてとか、映画を見てとかが多いイメージですが、志賀さんの場合は違うんですね。先生や演出に惹かれて、それで、高校卒業後は、桐朋学園で演劇を学ぶことになったと。
確かに先生の存在が、桐朋学園に行くことにつながるんですよね。高校で進路を決めるときに、歴史好きだったので、日本史の勉強しようかなとも思ったけど、演劇のことも天秤にかけたら頭もたげてきて。本当は一般の大学に行ってから演劇を学ぶのも遅くはないなと思ったんですけど、たまたま俳優養成所が閉鎖されて、桐朋学園にひきつぐということで学校になったんで、学校だったらいいかと思ったんです。
――20代は、演じるよりも学ぶほうに比重があったんでしょうか。
学校自体は俳優養成がベースになっているんで、僕も俳優になりたいと思って入ったんですけど、いろいろ座学で、演劇理論とか歴史とか音声学だとかを習いました。
――音声学で思ったんですけど、志賀さんはイケボというか、いい声というイメージが大きいと思うんです。
僕は自覚してなかったし、今もまだよくわかってはないんですけど、大学のとき、国語音声学の先生で柴田武先生という方がいらっしゃって。『新明解国語辞典』とかの辞書を編纂されてたり、方言の研究されてる方なんですけど。その方の授業で、最初にひとり一分くらいの自己紹介をしたときに、「君の声はいい声だから大事にしなさい」といわれて「えっ」と思いました。
大学の授業の中には狂言なんかもありましたし、声楽もあったし、三年目には能もあったし、そういうものに興味があったんですね。個人的にも語りと三味線の常磐津なんかも少しならったし。実はうちの母親がもともと長唄の出で。でも長唄じゃなくて常磐津を習ったのは、常磐津のほうにはセリフがあるんで、そっちのほうがいいかなと。わりと狂言や能や常磐津という、日本語の発生の基礎になるようなことをやったのがよかったのかな、今になって思いました。