道ならぬ恋の扱いに日本中がデリケートになっているいま、あえての、道ならぬ恋を描いた映画が、ベストセラー恋愛小説を原作にした『ナラタージュ』(行定勲監督)である。
高校教師で、しかも既婚者・葉山(松本潤)と、女子高生・泉(有村架純)が、お互いの孤独を埋めるように惹かれ合っていく。一度は別れたものの、大学生になった泉と葉山が再会すると、忘れられない想いが静かに激しく燃え上がってしまう。
妻との離婚が成立していない先生に心を痛めた泉は、彼女だけを想ってくれる青年・小野(坂口健太郎)とつきあってみる。だがそれは泉を救うどころか、ますます苛むことに……。
有村架純が、撮影中ずっと苦しかったというようなことをインタビューで語っていたが、画面は常に皮膜が一枚かかったような薄曇りのような感じで、雨もしょっちゅう降っている(しっとりキレイではある)、ロケ地の富山は、空も海もどことなくどんよりしている(それがいい雰囲気ではある)。
葉山のろくでなし感が魅力に
それもこれも、葉山先生がはっきりしないからだ。
映画を観た人はたいてい葉山先生に責任を求めたくなる。でも、彼の、ふわっと曖昧で手応えない感じこそ魅力ともいえるから、困りもの。松本潤が、葉山の憎みきれないろくでなし感をいい塩梅に演じている。
松本潤が、道ならぬ恋を描いた作品に出演するのはこれがはじめてではない。実は、得意ジャンルと言ってもいいくらいだ。映画『東京タワー Tokyo Tower』(05年)では、親子ほど年齢の離れた人妻との恋を、『僕は妹に恋をする』(07年)では、双子の妹との倒錯的な恋、テレビドラマ『きみはペット』(03年)では、年上のお姉様に飼われるような関係、『失恋ショコラティエ』(14年)では、またまた人妻に恋しながら、セフレまで作るという割り切った関係を描いた作品で、どの人物も鮮やかに演じていた。おそらく、少女漫画のキャラクターのような顔立ちが、状況の生々しさを回避させ、罪悪感よりも夢気分を高めることに成功できる稀有な俳優なのだ。よく、ラブストーリーの背景は、夜景やイルミネーションなどでキラキラさせてムードを盛り上げるのだが、松本潤は自家発電でキラキラしていて、背景要らずである(あればあったで一層輝くが)。
だが『ナラタージュ』では、そのキラキラを封印し、最大の武器・目ヂカラをメガネでぼかし、髪は中途半端に伸びたカツラを着用し、体重も少々増量することで、腕力も全然ない、冴えない三十代の教師に化けた。キラキラなしでも(なにしろ背景も、前述のごとくいつもどんよりしているのだ)相手に道を踏み外させてしまうという、さらなる難関に松本潤は挑んだ。
とりわけ私が驚いたのは、葉山先生の後ろ姿だ。なんの変哲もない、シャツと、ズボンという言葉が似合いそうなパンツを身に着けた先生のお尻は、ダンサーとかアスリートとかスター俳優のものではなく、研究職や作家などに多そうな、あまり意識していない感じに見えた。もちろん、かっこ悪くなりすぎないギリギリの線は死守しているのだが、いかにもふつうの人のお尻に見えたのだ。ここに、私は、地方都市の高校教師(体育の先生じゃない)で、妻とは別居しているためひとり暮らしの三十代を演じる、松本潤の気合いを見たような気がした。
『浮雲』を思わせるアプローチ
大事なのは、この、一見なんでもない感じの先生に、なぜ、泉がそんなに惹かれて離れられないのかというところ。
劇中、映画が好きな葉山と泉が観る映画のひとつに、成瀬巳喜男監督の『浮雲』(55年)がある。これがまさに、なぜ、そんなにもこの男がいいのか? という映画だ。
既婚の男が、ある女と腐れ縁のような関係になって、結局、彼女を破滅させてしまう悲恋もの。こんなふうに描くと身も蓋もないが、何度別れようとしても、離れられないふたりがもどかしいけれどロマンチックで、一度観ると忘れられない。女を演じる高峰秀子も美しいが、なんといっても、妻とはなかなか別れず、さらに別の女とも関係してしまう、女性の敵としか思えない男を演じる森雅之の力だ。知的なその外観をなんとも美しく思わせるのは、全身から堕落の芳香が滲み出ているようだから。その香りは、ゆらゆらと女を取り込んで離さない。松本潤は、キラキラとホタルのように発光するのではなく、稀代の色男・森雅之のようなアプローチで今回は迫ったのだと思う。
“なぜ、惹かれてしまうのかわからない”という無言で透明な縄が、泉を、観客を捉えて離さない。松本潤はなんともおそろしい俳優なのだった。
■著者プロフィール
木俣冬
文筆業。『みんなの朝ドラ』(講談社現代新書)が発売中。ドラマ、映画、演劇などエンタメを中心に取材、執筆。著書『挑戦者たち トップアクターズ・ルポルタージュ』『ケイゾク、SPEC、カイドク』、構成した書籍に『庵野秀明のフタリシバイ』『堤っ』『蜷川幸雄の稽古場から』などがある。最近のテーマは朝ドラと京都のエンタメ。