東武鉄道のSL「大樹」が営業運転を開始した。小雨降る肌寒い日となった8月10日、蒸気機関車C11形207号機は高く煙を上げ、強く汽笛を鳴らした。計画発表から約2年、社内での構想開始から約4年をかけた「SL復活運転プロジェクト」が現実のものとなった。
東武鉄道の一大プロジェクトを象徴する出発式に
営業運転初日の8月10日、まず祝賀列車が下今市駅から鬼怒川温泉駅へ運行された。これに先立ち、下今市駅構内の転車台広場にて出発式典が開催され、主催者として東武鉄道取締役社長、根津嘉澄氏が挨拶。「当社にとって、SLの運行は51年ぶりのこと。SLに関する資産は残っておらず、多くの鉄道会社の助力があってできました」と語り、「沿線地域の発展を第一に」「鉄道員魂を将来に渡って継承したい」とも述べた。
根津氏は列車名の「大樹」についても触れ、「将軍の別称であり、SLの力強さとも合う名称。3つの動輪を組み合わせた『大樹』のヘッドマークは、徳川家の三つ葉葵の家紋をイメージさせるものです」と述べた。日光には江戸幕府を創設した徳川家康を祀る日光東照宮がある。この日、来賓として徳川宗家の徳川恒孝氏、会津松平家の松平保久氏も出席。栃木県知事の福田富一氏、福島県副知事の鈴木正晃氏をはじめ、蒸気機関車C11形207号機を貸し出したJR北海道の代表取締役社長、島田修氏も出発式典に出席した。
国土交通大臣、石井啓一氏も出発式典にて挨拶し、SL「大樹」について「鉄道産業の文化遺産といえるプロジェクト。愛される鉄道となることを祈念したい」と述べた。復興大臣の吉野正芳氏は、「復興において観光は重要であり、広域連携の視点も重要」と挨拶した。SL「大樹」は下今市~鬼怒川温泉間という短い区間ではあるが、東京エリアから東武鉄道・野岩鉄道・会津鉄道を介して福島県へ向かうルートで運行されるため、東北復興支援の一助となることも目的となっている。
出発式典ではテープカットも行われ、それに合わせてC11形の汽笛が鳴り響いた。下今市駅の4番線ホームでは、「大樹」のヘッドマークを揮毫(きごう)した書道家で日光観光大使の涼風花さんが乗務員へ花束を贈呈した。
鬼怒川温泉駅でも一般の利用者を乗せた営業初列車の発車に合わせ、3番線ホームにて出発式典が開催された。鬼怒川温泉駅長の安生和宏氏に加え、鬼怒川・川治温泉旅館協同組合女将の会代表の八木澤美和氏、この日10歳の誕生日を迎えた藤原大樹(たいき)君がテープカットに臨み、藤原君にはサプライズとしてSL「大樹」を模したケーキも贈呈された。
14時35分、鬼怒川温泉駅長による「出発進行」の合図とともにSL「大樹」の営業初列車が発車。C11形が動輪を動かし、満員の乗客を乗せた14系客車を牽引して行った。鬼怒川温泉駅周辺では地元の人々が集まり、SL「大樹」にカメラなどを向けていた。
営業初列車の機関士「SLのノウハウ伝える仕事に関わりたい」
鬼怒川温泉駅からの営業初列車が下今市駅に到着した後、機関士を務めた仲沼和希氏が報道陣とのインタビューに応じた。
まずは「無事でほっとしました」と感想を語る。「プレッシャーよりむしろ、皆さんの気持ちと期待、笑顔を見ることができて楽しいという気持ちです。あいにくの天気でしたが、沿線の皆さんの気持ちが伝わってきました。末永く愛される列車になってほしい」と話す仲沼氏の姿に、初列車を運転できた喜びが伝わってきた。
仲沼氏は現在50歳。長年にわたり電車の運転士を務め、SL「大樹」の機関士となるために秩父鉄道で研修を受けたという。営業初列車の機関士には自ら志願したとのこと。「電車と蒸気機関車は、構造からシステムまで違います。体が慣れるまでは大変でした」と話す一方、「SLのノウハウを伝えていく仕事に関わりたい」「次の世代に伝えるべく、精進したい」と、機関士としての決意も語った。
営業初列車の運転について「(100点満点で)80点くらい」と仲沼氏は自己評価し、「カーブや勾配でスピードを落とさず運転するテクニックが必要」と運転技術についても話した。鉄道事業本部(SL事業推進プロジェクト)部長の浜田晋一氏は、SL「大樹」について「事業としては成り立つ」とした上で、「技術や人の問題を各所にお願いしながら解決することが大変でした」と話していた。
さまざまな力を結集し、営業運転を開始した東武鉄道のSL「大樹」。地域振興の起爆剤となるとともに、SL運行の技術やノウハウの中心となることが期待されている。