20年ぶりに新作が放送されるドラマ『ぼくらの勇気 未満都市』は、KinKi Kidsの代表作のひとつである。
1997年に放送されて以来、長らくDVD化されず、伝説のドラマだったが、新作放送を前に、旧作がHuluで3週に分けて配信されることになった。
旧作の物語をざっと説明しよう。1997年、千葉の幕原地区(架空の地名)で大地震が発生。千葉に引っ越した友人キイチ(小原裕貴)を心配して、名古屋から千葉に向かったヤマト(堂本光一)は、途中で、タケル(堂本剛)という同級(高3)の少年と出会う。
たどりついた幕原には、子どもたちしかいなかった。
大人がひとりもいず、子どもたちだけで、どうサバイバルしていくのか? ほぼ、幕原という土地のみで進行しながらも、スケールの大きな、冒険心に満ちた物語だ。
さっそく第1回配信の1~3話分を観てみた。
20年前の作品とは思えない今日的な問題を含んでいて、かつ、映像クオリティーの高い、アイドルドラマのイメージを覆す、クールなドラマであった。
演出は、95年からはじまった『金田一少年の事件簿』で堂本剛と組み、その斬新な映像が話題になって、一気に人気演出家となり、『ケイゾク』や『トリック』シリーズ、『SPEC』シリーズ、『視覚探偵 日暮旅人』など、ヒット作を次々手がけてきた堤幸彦だ。
カメラワークや照明、ふたつ並んだガスのコンビナートや広々した草っぱらなどのロケーションのセンス、劇伴、タイトルバックなど、どれもこれも、今見てもかっこいい。ファンにとっては、名演出家のある種の原点を見る思いに震えるはずだ。堤監督らしい空画像もたくさん出てくる。その場にある光を照明としても活用した撮影など、当時のテレビドラマとしてはかなり攻めている。
そして、その映像に、KinKi Kidsのふたり、堂本光一、堂本剛がじつに映える。また、嵐の松本潤と相葉雅紀の、ジャニーズJr.時代の、初々しい姿を見ることができることも嬉しい。光一、剛に関しては主役なのであとでたっぷり書くとして、松本と相葉について先に書くと、松本は天使みたいな少年で、相葉は悪ガキ感をめいっぱい出していた。
現代性も持ち合わせる物語
ストーリーに話を戻そう。ある理由で、幕原に閉じ込められてしまった子どもたちの心は荒み、対立をはじめる。それは日に日に激しくなっていく。思いがけず渦中に巻き込まれてしまったヤマトとタケルは、救出や脱出の可能性を探りつつ、この場を生き抜こうとする。ここまでが3話。
4話以降は、子どもたちが、自分たちだけで自給自足をはじめ、自治を行うようになっていく。いわば、子どもたちだけの共同体ができていくのだ。ところが、驚くべき事実が判明し……。その結果、「20年後、これをもって、また、ここで会おう」(ヤマト)という台詞で、子どもたちはそれぞれの人生を送ることになる。
この続きが、新作『ぼくらの勇気 未満都市2017』(7月21日21:00~)で描かれる。20年後、ヤマトとタケルは、この世界に何を思い、どんな行動をとるのだろうか。
97年に放送された時、社会はどうだったか、振り返ってみると、95年に起きた阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件など、日本を揺るがす未曾有の出来事の記憶が未だ覚めやらない時期だった。KinKi Kidsも97年の暮れから、TOKIO、V6とともにJ-FRIENDSとして阪神淡路大震災のチャリティー活動をはじめた。
そういうことも含め、主人公たちが今までの生活を失ってしまう『ぼくらの勇気 未満都市』も、社会派なドラマという印象があった。2017年の今、見ると、東日本大震災のことも脳裏によぎる。
ヤマトもタケルも、幕原に来るまでは、生活に必要なものはたいていそろい、何不自由なく生きてきたが、突如、水も食料も衣類もなにもかも不足した生活を体験することになる。大人たちのいない場所で頼れるのは、自分自身の勇気と知恵と、出会った仲間たちとの友情しかない。
いざという時は、共闘する
ヤマトとタケルを見ていると、友情のすばらしさに感じ入る。ヤマトは、考えるよりまず行動のやんちゃだが、都会っ子。対してタケルは、口は悪いが、思索的で、面倒見がいい。こんなふうに性格の違うふたりを、堂本光一と堂本剛が鮮やかに演じている。
最初のうち、何かとぶつかり合うふたりだが、じつのところ、なんだかウマが合っているようで、微笑ましい場面もたくさん。例えば「風呂沸かしてくれ」というヤマトに、タケルが返す台詞には、これに萌えないでどうするのか、というものだし、タケルが、ヤマトの洗濯までしてあげているというシーンまである。これは昨今流行っている"仲良し男子"の魁ではないだろうか。
また、かっこいいけれど、ちょっとクサく感じられる台詞を、どちらが言うと、どちらかがツッコむことで、かっこつけ過ぎないところも、このドラマのいいところだ。これは、ふたりだから、できることだ。KinKi Kidsはお互いが補完し合っているのだなあと思う。 20年後、新作ドラマの撮影中、剛が突発性難聴になって、テレビ番組出演ができなくなり、光一がひとりで番組に出ることになり、長瀬智也や松本潤、相葉雅紀が助っ人で出演することになった時の光一の対応の仕方を観ていても、立派に留守を守る相方感があった。一方、突発性難聴でお休みしてしまった剛は剛で、その繊細さが、彼らしい。そう、KinKi Kidsは、20年経っても、20年前にヤマトとタケルを演じていた時と、変わらないものを持ち続けているように感じる。
子どもの時はつるんでいても、大人になるにつれて、ひとりずつの生活をもち、いつしか離れていってしまうもの。だが、KinKi Kidsはコンビ活動が仕事だから当たり前とはいえ、いつまでもニコイチ感がある。未熟で非力だから、お互い支え合って、理不尽な世界に立ち向かっていこうとする少年時代、脆いものを少しずつ合わせて強くなっていこうとする切実さ。それが顕著なのは、彼らのデビュー曲のタイトル『硝子の少年』だ。これには得も言われぬ哀切がある。少年時代は、いつかは終わるからこそ尊く、惜しまれる。そんな哀切を、KinKi Kidsは、今もなお持ち続けているような気がするのだ。ただ、べったりではなく、お互い、それぞれの世界もちゃんともちながら、いざという時は、共闘するという理想的な関係を、KinKi Kidsには感じてしまう。
だからこそ、20年後にふたりが再会するドラマも、説得力がある。
ふたりがドラマで、がっつり共演する作品は、『人間・失格~たとえばぼくが死んだら 』(94年)、『若葉のころ』(96年)、『ぼくらの勇気 未満都市』(97年)と少ない。その後は、単発での共演があるくらいだから、『ぼくらの勇気 未満都市』はとても貴重な作品であり、2017年版は、この上もなく喜ばしい企画だ。
■著者プロフィール
木俣冬
文筆業。『みんなの朝ドラ』(講談社現代新書)が発売中。ドラマ、映画、演劇などエンタメを中心に取材、執筆。著書『挑戦者たち トップアクターズ・ルポルタージュ』『ケイゾク、SPEC、カイドク』、構成した書籍に『庵野秀明のフタリシバイ』『堤っ』『蜷川幸雄の稽古場から』などがある。最近のテーマは朝ドラと京都のエンタメ。