歌舞伎俳優の市川海老蔵が23日、都内で東京・渋谷のBunkamura シアターコクーンで開催中の自主公演の合間に会見を行い、妻でフリーアナウンサーの小林麻央さん(享年34)が乳がん闘病の末、22日に亡くなったことを報告。約400人の報道陣の前で、麻央さんの最期の様子や麻央さんへの思いを、涙を流しながら語った。
以下、会見での一問一答(2)
――闘病の中で、笑顔、勇気、愛情を忘れずに闘ってこられた。
おっしゃる通り、本当に笑顔と勇気と愛情、そして、決してブレない自分、そして、どんな状況でも相手のことを思う気持ち…愛ですよね。そういう力が最後までブレず、一昨日まで笑顔で話していて、昨日はちょっと調子が悪かったので。我々家族も急にそういう風になってしまったので、とまどった部分も多かったです。
――お亡くなりになって麻央さんにどんな言葉を送ったか。
この世にある、ありとあらゆる言葉を耳元で話していました。
――麻央さんはどんな存在か。
とにかく私を、どんな部分も、どこまでも愛してくれていた存在。できれば、ずっと一緒にいて、私の方が先に逝って、彼女にはもっと幸せにもっと楽しく、家族やお友達やご家族…麻耶さんやお父さまやお母さまといて、そして私が役者として成長する過程をずっと見守ってもらいたかった存在です。
――麗禾ちゃんと勸玄くんの様子は?
麗禾は昨日はずっと麻央の側を離れませんでした。そして彼女の横でずっと寝ると言って、寝てました。認識はしていると思いますね。勸玄はまだ、わかっているんですけど、わかっていないところもあって。今日の朝も麻央の横になっているところに、2人が麻央の顔を触ったり足をさすったり手を握ったり、そういうところを見ると、私が今後、背負っていくもの、やらなくてはならないこと…子どもたちに対してとても大きなものがあるなと痛感しました。勸玄はまだ、わかってますけどわかってないと思います
――奥様からから学んだことは?
元気になったら彼女は自分が歩んできた過程の病、乳がんやそれに伴う病に対して、自分が治ったらああしたい、こうしたい、多くの人の救いになれる存在になりたいと一生懸命闘病しました。それでブログも始めました。マスコミさんのおかげで公になって、ある意味、ありがたかったと思います。それでブログを始めて同じ病の人たちや苦しんでいる方々と苦しみや喜びを分かり合う姿は、私からするとなんか、人ではないというか、何というんですかね…すごい人だなと。言い方おかしいですけど、とにかく総合的に教わったこと、そしてまた、今後も教わり続けることは、愛なんだと思います。
――思い出す麻央さんの表情は?
全部です。始めて会った時の彼女から今日の朝まで全部ですね。
――笑顔が多い?
そうですね。多かったと思います。