歌舞伎俳優の市川海老蔵が23日、都内で東京・渋谷のBunkamura シアターコクーンで開催中の自主公演の合間に会見を行い、妻でフリーアナウンサーの小林麻央さん(享年34)が乳がん闘病の末、22日に亡くなったことを報告。約400人の報道陣の前で、麻央さんの最期の様子や麻央さんへの思いを、涙を流しながら語った。
以下、会見での一問一答(1)
(冒頭のあいさつ)
わざわざご報告をするようなことではないかもしれませんが、今朝、家の前にも多くのマスコミの方がいらっしゃいました。ご報告するということも一つの義務なのかと思いました。昨日夜に妻・麻央が旅立ちました。
それによりいろいろとございます中で、家族の時間や、家族でしなくてはならないこと、家族で話すべきこと…そういった中で思った以上にみなさまに伝わったのが早かったということで、急きょこのように時間をつくっていただいたのは、多くの方にご迷惑のかからないように、そしてブログや、アナウンサー時代から妻のことを応援してくださった方々にご報告ということで、このような時間を設けさせていただきました。
――麻央さんの最期はどのように看取られたのか。
私は昨日も舞台で、それまで麻耶さんと麻央のお母さんが看病していました。私は昨日、舞台が終わった後にここで別の撮影がございまして、そのあとにロビーで別の稽古がありまして、そのときにお母様からLINEが来ていたんですけど僕は見る事ができませんでした。1時間半ほど遅れて見た内容が、「具合が悪い」と。「お医者様も来ていて、家族を呼んだ方がいい」というような内容で、私も慌てて急いで家に帰ったわけです。
帰りますと、麻央はまだこの世にいてくれて、本当にたまたまなんですけど、私が妻の前に座って呼吸が苦しそうだったので大丈夫かなと。一昨日までしゃべれたんですけど昨日はずっとしゃべれずにいたので、これは不思議な話ですけど、息を引き取る瞬間、私は見ていました。その時、不思議なんですけども「愛してる」と言って…彼女がその一言を言って…泣いちゃいますよね(泣き笑い)、その一言。「愛してる」と言って、それでそのまま旅立ちました。
「る」が聞こえるか聞こえなかったか、ちょっとわからなかったんですけど、「愛してる」と言って旅立ったのがちょっと…。なんというんでしょうか、こんなに愛されていたのはよくわかっていたんですけど、最後の最後まで愛してくれていたことに…。なんともいえませんね。すいません。どうしても昨日の今日で、何も準備もできていなくて、お見苦しいところをご覧入れて。
――最期ご自宅で送ってあげることができたのは良かったと思いますか?
それはとても良かったと思います。お母様もお父様も、私も、麻耶さんも、子供たちもずっとそばにいられたのですごく良かったなと。私は父を病院で亡くしているので…病院の時とは違い、家族の中で、家族と共に一緒にいられた時間は、本当にかけがえのない時間を過ごせたと思います。
――お子さんも含めてご家族で送ることができた?
そうですね。子供たちも見ていました。