「青森ねぶた」は確かに有名だ。しかし、実際にねぶたを観たことがない人にとっては、ねぶたの山車以外の部分がどうなっているのか、なかなか想像できないだろう。まずは以下の写真を見てほしい。ねぶたではこの「化人(バケト)」もまた、欠かせない存在なのだ。
明治時代にも化人は存在!
ねぶたは、先導提灯~お囃子(太鼓、笛)が1セット(団体ごとで順番は異なる)。その団体と団体の間を、化人と言う顔を白塗りにした男女が練り歩き、笑いを誘ってくれる。化人の認知度は意外に低いが、実は歴史は古く、仮装した男女がなんと明治時代の写真にも写っているほど。
当時その仮装を化人と呼んでいたかは不明だが、大正時代の新聞には一回だけ表記されている。一般には、仮装の人たちが出たという表記になっており、大正8(1919)年8月の東奥日報では、化人の様子を次のように記述されている(紙面上では「踊り子」と表記)。
「(略)踊り子には衣装のこったものが多数交じっている。西洋婦人、黒人夫人、支那人夫人、暑いのに布団を着て大名の真似、蚊帳をまとって石地蔵を車に乗せた乞食坊主の一体、児雷也、義経、大達磨などおよそ百名あまり(略)」。
化人にためらいはいらない
その世界観、渋谷のハロウィンの比ではないだろう。歴史のある白塗りの化人だが、事前に「青森ねぶた祭バケト保存会」に連絡をしてノウハウを教えてもらったら、青森にゆかりのない人も気軽に参加できるという。「これはうかがわなければ! 」と、「青森ねぶた祭バケト保存会」事務局長の三上均さんを訪ねた。
笑顔がとっても素敵な三上さん。こんな紳士が、まさかそんな白塗りを? お会いした時にはとっても驚いたが、三上さんの化人歴はなんと25年。「まずはこちらをご覧ください。」と、アルバムを見て二度びっくり。ダンディな三上さんの化人正装がこちらである。
「それでは、実際に化人になるところを見てもらいましょうか。今日はモデルとして会員の小早川くる美さんと坂本渚さんを呼んであります」。
左が坂本渚さん(化人歴6年)。ちょっぴり恥ずかしがり屋さんで、カメラを向けると緊張感がこちらにまで伝わってくる。右が小早川くる美さん。小早川くる美さんはlafarfaモデルをしつつも、両親が化人というサラブレッド。2歳から化人をしているというから筋金入りだ。
化人までの道のりに、もう言葉はいらない。存分に写真で楽しんでいただきたい。
化人には人の性格まで変えてしまう
えええええ? マジですか?? 思わず声が出てしまうほど、うら若き乙女が迷いもなく変貌を遂げていく。「完成です」。そう言った渚ちゃんに、先ほどノーメイクだった時にあれだけ恥ずかしがっていた様子は微塵もない。化人とは、人の性格まで変えてしまう力が存在することを知った瞬間であった。
さて、くる美ちゃんの進行度合いは!? と、振り返るとそこには驚きの光景が。ん? その黒髪のズラ……まさか!
なんと! タイムリーなあの人。「ブルゾンちえみ」ならぬ「ブルゾンくる美」が完成! その完成度の高い仕上がりに驚愕。
こ、これは……with Bも欲しい。カメラマン魂に火がついた。「三上さん、会長の田村さんも呼んで! 脱いでもらえませんか? 」。そして仕上がった「ブルゾンくる美 with G」がこちらである(注: G=ジジイ)。
どうだ、このGのインパクト。なんて破壊力。ビジュアルの勝利である。「もう、化人楽し~! 三上さんっ! 私も参加したくなりました!! どうしたら参加できるんですか? 」。
「化人に関しては基本的には自由参加なので、誰でも気軽に参加してもらえますよ。ひとりで出るのが不安で、保存会と一緒に出たい場合は、会員になる審査があります。事務局twitterまで連絡をいただければ、基本的なルールなどいろいろお教えしますよ」(三上さん)。
最後に三上さんにいただいた三カ条を熟読して、この思いに共感した人はぜひ、桟敷き席でただ見るのではなく、ねぶた祭の参加者となってみてはどうだろうか。三上さんを始め、バケト保存会員はみなさんの連絡を待っている。
化人三カ条
ひとつ、白塗りをして顔を崩し仮装をする
ひとつ、肌を露出しすぎない
ひとつ、お客さんとやりとりをして、楽しませ、喜ばせ、盛り上げる
●information
青森ねぶた祭バケト保存会 公式twitter