ロックバンド・X JAPANを襲った悲劇の連鎖…Toshlの洗脳、バンド解散、HIDEとTAIJIの死、そして復活。ハリウッドが製作したX JAPANのドキュメンタリー映画『WE ARE X』(公開中)で、彼らの封印された壮絶な歴史が描かれている。このたび、リーダーのYOSHIKIのインタビュー。目をそむけたくなるような過去ともしっかり向き合い、ToshlやHIDEへの思い、解散や再結成のときの心境など、静かに胸の内を語ってくれた。
――「今までのストーリーを語るなんて考えただけでゾッとした」と、最初の頃はこの映画を作りたくなかったそうですが、実際に完成したものを見て、どう感じましたか?
すごくインパクトのある衝撃的な映画になったと思います。そういう人生だったわけですが、実際映像になると衝撃が強すぎて、最初はどうやって反応していいかわからなかったですね…。
――ネット上でも映画を鑑賞した人たちからさまざまな反響の声が上がっていますね。
先日監督とインタビューしたときに、監督のもとに「自殺を考えていましたが、映画を見て生きることにしました」という手紙が届いたことを聞いて、作ってよかったなと思いました。
――この映画は、壮絶なX JAPANの歴史が凝縮されていますが、1997年のToshlさん脱退、解散はやはり衝撃的でした。あらためてその時の心境をお聞かせください。
あのときは僕自身もX JAPANを終えたかったんでしょうね。いろんな意味で。たぶん僕も疲れていたと思います。海外進出を掲げていたけど自分ばっかり先走ってしまって、今考えると、メンバーはその当時は日本で活動したかったのかなと。
――Toshlさんの変化は、一緒にいて感じられましたか?
一目瞭然でしたね。Toshlが脱退する時、HIDEは説得しようとしたんですけど、僕はもう説得しなかった。当時、僕の知っているToshlではなかったので。
――言っても変わらないと思ったということですか?
そういう感じもしましたし、自分自身もここでいったん終止符を打った方がいいのかなと思ったんです。
――解散ライブで、すべての思いをぶつけるようにドラムをたたいている姿が印象的でした。
やはり、いざ解散コンサートとなると悲しかったですね。
――その翌年にHIDEさんが亡くなって…。
そうですね。とどめでしたね。
――今回の映画でも、YOSHIKIにとってHIDEさんは良き理解者でありプロデューサー的存在だったという第三者の声がありましたが、あらためてどういう存在でしたか?
デビューする前にライブハウスを回っているとき、だいたいHIDEと僕が同じ部屋だったんですね。ある意味、家族以上の存在だったと思います。
――映画では、HIDEさんがファンの方をとても大事にしていたということに焦点が当てられ、映像として紹介されていました。YOSHIKIさんの中で、HIDEさんの言葉や行動で特に残っていることは?
当時はHIDEが、「ファンの人たちとの間は自分がやるので、YOSHIKIはリーダーとして突っ走ってくれ!」という言い方をしていましたね。彼がいなくなって、今度は僕がその役割を果たすようになったのですが。あとは、「一緒に引っかき回しちゃおうよ!」って言っていたことを覚えていますね。
――ファンとの関係構築は、意識的に自分がやるんだと決意されたのでしょうか。
そうですね。実際に自分がやり始めたら、楽しいこともいっぱいあって、ファンとコミュニケーションとることによってわかることもたくさんあるんだと知りました。