年内での解散が発表されているSMAP。1988年4月の結成から現在までの28年9カ月間のうち、デビューから8年2カ月は、中居正広、木村拓哉、稲垣吾郎、草なぎ剛、香取慎吾の5人に加え、森且行の6人で活動していた。

しかし、初のプライム帯冠番組『SMAP×SMAP』(フジテレビ系)がスタートしてわずか2カ月後、森はグループを脱退し、芸能界も引退して、夢だったオートレースの世界へ。以来、彼のことを、SMAPがメディアを通じて語ることはほとんどなかったが、総合司会を務めた2年前のフジテレビ系大型バラエティ特番『武器はテレビ。SMAP×FNS 27時間テレビ』(2014年7月26~27日)に、森から5人に向けて手紙が送られていた。

デビュー当時の5人を一番近くで、その後も特別な距離感で見守ってきた森だからこそ書ける"SMAP愛"にあふれた手紙。生放送で27曲45分3秒というノンストップライブを終え、特設会場からフィナーレが行われるフジテレビ本社スタジオへ徒歩で向かう時間に、同局の加藤綾子アナウンサー(当時)が代読した、その内容を振り返る(文章は、原文ママ)。

手紙を代読した加藤綾子(当時フジテレビアナウンサー)

まずは5人全員に向け、『27時間テレビ』の総合司会を務めることを聞いた際の心境を「すごいなって思いました」と紹介。この当時で、SMAPを脱退してから18年が経過していたが、「あのとき、あんな無茶なことを言ったのに、受け入れてくれて暖かく送り出してくれたみんなに、本当に感謝しています」と、あらためて気持ちを伝えた。

『スマスマ』最後の収録後は、東京・四谷の焼き肉店で打ち上げ。「明け方外に出て、全員でカメラに向けてお尻出して写真撮ったよね。強烈に覚えています。あれが6人で最後のSMAP」と、しみじみ思い出しているようだ。

そして、メンバーそれぞれへのメッセージがつづられる。

香取には「慎吾へ。初めて会ったとき、慎吾はすっごい子供で本当の弟みたいで、生意気だなと思う時期もあったけど、ずっとかわいかった」と述懐。「でも、あんなやんちゃでかわいかった慎吾が、今、テレビで見ると堂々として頼もしいよ。すごいな、慎吾」と、その成長ぶりに驚いていたようだ。

草なぎには「剛へ。剛とは帰る方向がいつも一緒で、一番話したかもな。一緒に電車で帰るときも、剛がバクテン出来るのうらやましくて、ホームで何度もバク中やらせたりしてたよな」というエピソードが。そして、思い出したかのように、「あ、俺SMAPやめてから唯一見た映画、剛の『バラッド』、良かったよ。それと、バイク乗り始めたんだってな。趣味としてはいけど、絶対安全運転。気をつけてな」と、プロのレーサーとしてアドバイスを送っていた。

稲垣には「吾郎ちゃん。俺がSMAPやめて養成所に入る前日、みんなが俺の家に集まってバリカンで頭を刈ってくれたんだよね」と振り返りながら、「吾郎ちゃん以外」とオチが。それでも、「そういうところが吾郎ちゃんらしくて、すごく好き。中居君、木村君と剛と慎吾に挟まれて、昔だったら俺も吾郎ちゃんと同じところにいたんだけど、真ん中にいるって大変だと思う。だけど吾郎ちゃんがいるから、SMAPはSMAPでいられると思うよ。これからも吾郎らしくね」と、ファンから"中間管理職"と呼ばれる存在感を、同情を交えながら、たたえていた。

『武器はテレビ。SMAP×FNS 27時間テレビ』が放送されたフジテレビ=東京・台場

木村には「木村くん。木村君はね、メンバーの中で遊んだ回数が一番多いかも」と、プライベートでも仲が良かったそう。「木村君は最初に会った時から格好良くて、一緒に遊んでても格好良くて、仕事してても格好良くて、あのときから今でもずっとずっと格好いい。すごいよ」と、お手上げだったことを告白したが、「辞めたら、怖い存在になってほしいと言ってくれた言葉、忘れないよ」と、闘志に火をつけられていたようだ。

中居には「中居君。中居君には一番いろんな事を教わって、そして一番迷惑をかけた。辞めると決めてからずっと心配してくれて、ずっと面倒見てくれて。ありがとう。記者会見も一緒に出てくれてありがとう。辞める最後の最後までリーダーとして面倒見てくれてありがとう」と、感謝の言葉を何度も重ねる。『スマスマ』で放送された「はじめてのSMAP5人旅スペシャル」(2013年4月8日放送)を見たことを明かし、「カラオケで最後にベストフレンド歌って泣いてくれてありがとう。本当にありがとう。感謝しています」と、お礼の言葉が尽きなかった。

こうして、5人への思いを伝えた後、最後に森はこう締めくくっている。「SMAP。僕の友達は5人以外にいません。SMAP最高。森且行」