2016年12月に、発売から20周年を迎えるPFUのキーボード「Happy Hacking Keyboard」(HHKB)シリーズ。特設サイトも公開され)、その20年間の歴史をたどることができる。その20歳の誕生日を一足早く祝うイベントが開催された。

HHKBをかたどった20周年記念ケーキ

初代モデルの生産台数は500台

PFU代表取締役の長谷川清氏

冒頭、挨拶にたったPFU代表取締役の長谷川清氏によれば、HHKBといえば、まさに高級キーボードの代名詞となっているが、最初はどのような売れ方をするのかまったくわからず500台しか作らなかったという。

それが、この20年で累計40万台も売り、高級キーボードのナンバーワンの大ヒットシリーズに成長するとは誰も思わなかったらしい。

そもそもこれだけニッチな製品に代表取締役社長が登壇するという時点で、いかにこの製品が同社に大事にされているかがわかる。

HHKBの生みの親、和田英一氏も登場

東大名誉教授の和田英一氏(東京大学名誉教授、IIJ技術研究所研究顧問)。最近は3Dプリンタでの造形を楽しんでいるという

HHKBの生みの親として知られる東大名誉教授の和田英一氏(東京大学名誉教授、IIJ技術研究所研究顧問)は、HHKBを馬の鞍にたとえる。

アメリカ西部のカウボーイは馬が死ぬと馬をそこに残していくが、どんなに砂漠を歩こうとも鞍は自分で担いでいく。なぜなら馬は消耗品だが、鞍は自分の体に馴染んだインターフェースだからだ。

今やコンピュータは消耗品。だが、キーボードは馬の鞍と同じで、生涯使えるインターフェースとして大事にしたい。しかし進化の激しいコンピュータが新型に変わるたび、キーボードのキー配列も変わってしまうことに納得がいかなかったという。

そこで考え出したのがシンプルでコンパクトな「Alephキーボード」だ。それがHHKBの原型となった。試作を繰り返して完成したHHKBを、発売前にWIDE研究会に持ち込んで、当時のインターネット研究者たちに見せびらかした和田氏。そこで大人気となる感触をつかめたという。

HHKBの原型、Alephキーボード(模型)。配列や大きさなどを考えるにあたり、ファイルを切り、キー配列の紙を貼り付けた厚紙を作成した

イベントで挨拶した和田氏は、コンピューターとのコミュニケーションにキーボードは欠かせないとし、それが今後変わることもないゆえに、HHKBはずっと続くだろうとした。もっとも最近は(自分の)寄る年波には勝てず、軽量なはずのHHKBの重さもやっかいで、MacBookだけを持ち歩くことも少なくないと漏らして場内の笑いを誘った。この様子なら、打ちやすさはそのままで、さらに軽量化したHHKBの登場も期待できそうだ。

ほかにも、当時のPFU開発部門にいた白神一久氏(現富士通)が、ノコギリで既存のキーボードを切り、バリだらけの試作機を作成したエピソードを語ったり、当時PFU開発部門だった飯沼宏氏氏(現PFU)が、最初の金型が壊れたので作り直したりした裏話を明かした。

「ハッキング」は公序良俗に反する?

もちろん危機に瀕したこともあった。初代に使っていたパーツ類がEOL(End of Life)を迎え、初代と同じものが作れなくなったのだ。そこで耳にしたのが東プレの静電容量無接点方式高級キーボードであり、そのパーツの採用を決めたのが当時PFU開発部門だった八幡勇一氏(現テラテクノス)だ。そしてHHKBは蘇った。

日本国内では「ハッキング」という言葉が公序良俗に反するということで、商標登録ができない危機に瀕したことも明らかにされた。現PFUイメージビジネスユニット 海外営業統括部長の清水康也氏は、当時のPFU米国拠点において、米国に向けたHHKBの拡販を一手に引き受けていた苦労について語るなど、これまでの20年間の節目を振り返った。

当時PFU開発部門だった八幡勇一氏(現テラテクノス)

PFUイメージビジネスユニット 海外営業統括部長の清水康也氏

子どものピアニカから着想

HHKBにはキートップにない無刻印のモデルもある。これは、拡販費がなかったから話題作りに奇抜なことをということで実現したものだ。

無刻印モデルを考案した、PFUイメージビジネスユニット 国内営業統括部長の松本秀樹氏は、最初は鍵盤のひとつひとつに音名の紙が貼ってあるお嬢さんのピアニカがヒントになったという。

上手になったら音名の紙ははがしてしまう。キーボードも同じだというわけだ。松本氏は、漆モデルなども考案、お金をかけないアイディアでHHKBファンを増やしていった。

イベントにはジャーナリストでノンフィクション作家の山根一眞氏も登場。これがなければ原稿が書けないとし、Mac版が出たときでもWindowsに見向きもしないでやってきてよかったと感謝の気持ちを表明した。

PFUイメージビジネスユニット 国内営業統括部長の松本秀樹氏

ジャーナリスト・ノンフィクション作家の山根一眞氏

これからも魂を込めてやっていく

締め括りの挨拶に立った松本氏は、「バカじゃないの」と言われながらも出したHHKBが厳しいはずの製品管理もノーマークで、とにかく欲しいものが作れたと当時を振り返る。

つらい時代もたくさんあり、紆余曲折の20年間だったが、でも、なくなっては困る人がたくさんできた。しっかりしたものを作ると20年続くことがわかり、これが物語の共有だとし「心の中のブランドとして、いろんなことをHHKBと一緒に学び成長できた。これからも魂を込めてやっていく」と話した。

1996年に登場した初代Happy Hacking Keyboard

1999年に米国で発売したPalmシリーズ対応クレードル。高い評価を得たものの、実際にはあまり売れなかったという

初代モデル成功記念で制作した漆塗モデル

2006年に登場したアルミ削り出しフレーム採用のHHKB。本体に重量があると打ちやすいのでは、と開発された。これも松本氏によるアイデア

最後は皆で記念写真