米大統領候補による第1回のディベート(TV討論)があった9月26日からの7日間は、共和党トランプ氏によって「痛い」1週間だったに違いない。

ディベートでは落ち着き払った態度を通した民主党クリントン氏に対して、トランプ氏は「苛立たされた」「地金(じがね)がでた」と主要メディアで報じられた。直後の世論調査でも、「クリントン優勢」との結果が出た。

その週末には、トランプ氏が20年近くも所得税を納めていないとの新聞報道がなされた。ディベートで、納税記録を公表しないトランプに対して、クリントン氏が「何かを隠している」と攻撃していたが、それがまさに「税逃れ」だった可能性が浮上したわけだ。

もっとも、「税逃れ」という言葉は厳密には当てはまらないだろう。トランプ氏は95年にビジネスで大きな損失を出しており、詳細は不明ながら、それを繰り延べたことで、その後の課税対象所得がゼロになったということではないか。いわば合法的な節税である。

トランプ氏の支持者からは早速、「納税の天才」「税制を熟知したトランプ氏こそが改革に適任」との褒め言葉が相次いだが、さすがにそれはどうだろうか。

追い打ちをかけるように、トランプ氏のポルノビデオへの出演が明らかになった。ただ、それは出演者の女性陣をニューヨークの大物が出迎えるというだけの役柄だった。同ビデオの発行者は男性エンターテインメントで一世を風靡した著名人であり、紳士淑女が利用する高級クラブを経営していたことでも有名だった。女性蔑視発言を連発するトランプ氏にとって、今更打撃になるとも思えない。

ここでふと思い当たったのが、クリントン氏だ。といっても、トランプ氏と火花を散らすヒラリーではなく、92年の大統領選挙で当選したビルの方だ。民主党の予備選で出遅れたクリントン氏は、自身の不動産投資に関する疑惑(ホワイトウオーター)や、性的関係を持ったと複数の女性が名乗り出るといったスキャンダルに見舞われた。しかし、クリントン氏は、予備選中盤以降に挽回し、自らを「カムバック・キッド」と呼んだ。

また、本選投票日の直前には、元愛人が男性誌のグラビアに登場、赤裸々な手記も掲載されるという「オクトーバー・サプライズ」があったものの、クリントン氏はこれも見事に乗り切って、現職のブッシュ大統領(父)に勝利した。

92年にクリントン氏が当選したのは、同氏の落ち着いた態度や巧みな話術によるところが大きかったのかもしれないが、それだけではあるまい。当時は景気が低迷するなか(*)、ブッシュ大統領に庶民の暮らしは分からないとの批判が根強かった。クリントン陣営は「It's economy, Stupid!(問題は景気だよ、そんなこともわからないのか)」との標語を掲げて選挙に臨んだが、まさしくそれが的を射ることになったのではないか。

(*)当時のリセッション(景気後退)は90年6月~91年3月。92年11月の投票日にはリセッションはとっくに終了していたことになるが、NBER(全米経済研究所)が同リセッションの終了時期を公式に発表したのは、投票日の約1カ月後だった。

2008年9月のリーマン・ショック以降の景気低迷が続くなかで、有権者が大統領に求めるものも、品格や清廉さではなく、いかに自分たちの暮らし向きを良く変えてくれるかという切実なものに一段と変わっている可能性がある。

そうだとすれば、トランプ氏が「カムバック」する可能性はあるのかもしれない。もちろん、有権者は、ビジネスで大損したトランプ氏ではなく、大成功を収めたトランプ氏に賭ける必要がありそうだ。

本稿を書き上げた時点で、「トランプ氏が自らをカムバック・キッドに模している」との報道を目にした。さすがに年齢的に「キッド」と呼ぶのはどうかと思うが。

執筆者プロフィール : 西田 明弘(にしだ あきひろ)

マネースクウェア・ジャパン 市場調査部 チーフエコノミスト。1984年、日興リサーチセンターに入社。米ブルッキングス研究所客員研究員などを経て、三菱UFJモルガン・スタンレー証券入社。チーフエコノミスト、シニア債券ストラテジストとして高い評価を得る。2012年9月、マネースクウェア・ジャパン(M2J)入社。市場調査部チーフアナリストに就任。現在、M2JのWEBサイトで「市場調査部レポート」、「市場調査部エクスプレス」、「今月の特集」など多数のレポートを配信する他、TV・雑誌など様々なメディアに出演し、活躍中。

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