6月1日、安倍首相は消費増税を2019年10月まで、2年半延期することを正式発表した。消費増税延期の根拠の一つは、現在の世界経済がリーマンショック前の状況に似ているということだった。安倍首相は、伊勢志摩サミットでも、「リーマンショック直前に洞爺湖サミットが行われたが、危機を防げなかった。その轍は踏みたくない」という旨の発言をしている。
安倍首相が現状をリーマンショック前になぞらえたことは、すこぶる評判が悪い。状況が大きく異なるからだ。そもそもリーマンショック以前の世界経済は好調だった。世界的な低金利を背景に投資家のリスクテイクが強まり、資産価格が高騰していた。米国で、サブプライム・ローンが急増して住宅バブルが発生。そのことが米国のみならず、世界の景気をけん引していた。そして、サブプライム・ローンの焦げ付きが増加して、膨張していた金融の急激な収縮が起こったのが、リーマンショックだった。
したがって、リーマンショック前に必要だったのは、投資家の過度なリスクテイクを抑制することや、金融システムの監督・監視の強化であり、景気刺激ではなかったはずだ。
さて、消費増税の延期によって、どういう影響が出てくるか。消費増税が景気を大きく下押ししかねないことは、2014年4月の消費増税の経験が物語っている。したがって、消費増税の延期はマイナス効果の除去という点で、直接的には景気にプラスに働くはずだ。
もっとも、消費増税は「社会保障と税の一体改革」の一環であり、その延期は財政再建の遅れを意味する。そうでなくとも、2020年度に財政の基礎的収支(プライマリーバランス)を均衡させるとの中期財政計画は絵に描いた餅になりつつある。消費増税の延期や2016年度第2次補正予算の策定とともに、財政再建のための明確な道筋が示されなければ、財政破綻の懸念を強めることになりかねない。
現在、日本国債の利回りは年限10年以下が全てマイナスになっている。それだけ、日本国債に対する需要が強いということであり、債券市場は財政破綻を全く懸念していないようにみえる。ただし、国債需給がひっ迫している最大の要因は、日銀が国債を大量に購入していることだ。
日銀が一般の投資家と大きく異なるのは、投資行動が相場判断に左右されないという点だ。一般の投資家は、財政破綻の懸念が強まって国債価格が下落すると予想すれば、国債を売却する。多くの投資家がそう予想すれば、実際に国債価格が下落して利回りは上昇し、放漫財政に対して警鐘を鳴らすことになる。かつて米国の著名エコノミストは、債券市場のそうした機能を「債券自警団」と名付けた。
しかし、日銀は、仮に国債価格が下落すると予想したとしても、国債購入を躊躇したり、国債を売却したりはしないはずだ。日銀が一段と存在感を増す日本の国債市場から「自警団」は消えつつあるのかもしれない。
もっとも、日銀がいつまで国債購入を続けることができるのかは誰にも分からない。財政が悪化を続けても、5年先、10年先でも何も変わらないかもしれない。その一方で、「自警団」の警告という前触れなしに、国債市場が一気にクラッシュするという事態も絵空事と言い切れないのではないか。
執筆者プロフィール : 西田 明弘(にしだ あきひろ)
マネースクウェア・ジャパン 市場調査部 チーフエコノミスト。1984年、日興リサーチセンターに入社。米ブルッキングス研究所客員研究員などを経て、三菱UFJモルガン・スタンレー証券入社。チーフエコノミスト、シニア債券ストラテジストとして高い評価を得る。2012年9月、マネースクウェア・ジャパン(M2J)入社。市場調査部チーフアナリストに就任。現在、M2JのWEBサイトで「市場調査部レポート」、「市場調査部エクスプレス」、「今月の特集」など多数のレポートを配信する他、TV・雑誌など様々なメディアに出演し、活躍中。
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