ソ連からやってきたずんぐりむっくりな機体
BOR-4の、おそらく4号機とされる機体は、1982年6月4日に「コースマス3」ロケットで宇宙に向けて打ち上げられた。そして軌道を1周した後、大気圏に再突入し、インド洋に浮かぶココス諸島から南に約560kmの海上に着水した。
着水予定海域にはソヴィエト海軍の船が待っており、帰還したBOR-4を海から引き上げて回収し、本国に持ち帰ることになっていた。すべては秘密裏に行われるはずだったが、引き揚げ作業中に、彼らの上空にオーストラリア海軍の哨戒機がやってきて、BOR-4の姿が撮影されてしまったのである。ちなみに翌1983年にもBOR-4(3号機とされる)が打ち上げられ、同じ海域に着水したが、その際にも再びオーストラリア海軍による監視を受けることになった。これに懲りたのか、その後の2機では黒海に着水させている。
オーストラリア海軍が撮影した「ソヴィエトの謎の宇宙船」の写真はすぐさま米国に送られ、中央情報局(CIA)で分析が行われた。当時、CIAはすでに「ソヴィエトがスペース・シャトルらしきものを開発しているらしい」という情報は握っていたというが、写っていた機体はどう見ても、スペース・シャトルとは似ても似つかない形状をしていた。スペース・シャトルは飛行機のような、ほっそりとした機首と大きな三角形の翼をもっている。しかしその機体はだんごっ鼻で、翼も小さなものが生えているだけの、ずんぐりむっくりとした形をしていた。
そこでCIAは、NASAのラングレー研究センターに調査を依頼した。NASAでは胴体そのものが翼のように揚力を発生させる「リフティング・ボディ」という機体の研究開発が行われており、ラングレー研究センターもその研究の中核を担っていた。彼らならこの機体の正体がわかるのではと考えられたのである。
彼らは映像を分析し、またその映像から模型を作って風洞試験にかけたところ、大気圏再突入直後の極超音速域から、滑走路着陸前の亜音速域に至るまで安定して飛行できる、高い飛行特性をもつ宇宙機であることが判明した。その性能は、かつて自身らが研究していた「HL-10」という機体よりも高いものであったという。この性能差は、まさにだんごっ鼻のおかげで生まれているものだった。一方で、随所にHL-10との類似点も見つかっており、おそらくソヴィエト側がHL-10の写真や資料を参考にしたものと考えられた。
ソヴィエトのブラーンは、無人の試験機が1回飛んだだけで計画は中止され、BOR-4もまた試験機以上の役割を与えられることはなかった。一方NASAは、国際宇宙ステーション(当時はまだ「フリーダム」と呼ばれる、西側だけで造る宇宙ステーション計画だった)からの緊急帰還用の宇宙船、つまり脱出艇として、「HL-20」と呼ばれる宇宙船の開発を始めた。HL-20には明らかにBOR-4を分析した成果が盛り込まれており、実際他ならぬNASA自身が「HL-20のアイディアはBOR-4から来ている」と述べている。
だが、高価な開発費が米国議会で問題視され、1990年にHL-20の開発は中止される。それまでに製作された実物大模型などは、ラングレーの格納庫に保管されることになった。
しかし、HL-20の、そしてソヴィエトの夢の欠片でもあるこの機体の運命は、ここで終わりはしなかった。
【参考】
・BOR-4
http://www.astronautix.com/craft/bor4.htm
・http://www.buran.ru/htm/bors.htm
・NASA - They're Trying to Make a Dream Come True
http://www.nasa.gov/topics/technology/features/hl20-recognition.html
・HL-20 Model for Personnel Launch System Research: A Lifting-Body Concept | NASA
http://www.nasa.gov/centers/langley/news/factsheets/HL-20.html#.Vp7dGlIYnOA
・The Dream Chaser: Back to the Future | APPEL – Academy of Program/Project & Engineering Leadership
http://appel.nasa.gov/2011/11/02/the-dream-chaser-back-to-the-future/