カラオケスナック、清掃会社の休憩室、AVの撮影現場……。女性ばかりが集まる場所を舞台に、女同士の醜くも可笑しい生態や人間関係を細やかに描き出し、高い評価を受けている演劇ユニット「ブス会*」。
毎回、脚本と演出を手がけるペヤンヌマキさんが、最新作のテーマに選んだのは、「母親」そして「姉妹」という血縁関係でした。11月19日から始まる第6回ブス会*『お母さんが一緒』の構想をはじめ、血のつながった関係ならではの業や、親子関係が恋愛・結婚に与える影響などをお伺いしました。
家族といるときの自分が一番みにくい
――今回の新作舞台『お母さんが一緒』は、ペヤンヌさんが初めて「家族」をテーマに描いた作品だそうですが、どんなストーリーになるんですか?
37歳、35歳、29歳と年の離れた三姉妹が、母親に親孝行をしようと温泉旅行に連れて行くのですが、そこで母親や、自分以外の姉や妹に対する複雑な思いが徐々にあらわになって……という話です。
お母さん自体は温泉旅館の隣の部屋にいるという設定で、実際には登場しません。三姉妹の口から、それぞれ違う"母親像"が語られるという、いわば『薮の中』スタイルですね(笑)。それぞれ自分の生き方や、姉妹との関係の中に、色濃くお母さんの影響を受けてるんだけど、みんな「私はお母さんとは似ていない」と思いたがってるんです。
――それはおもしろそうですね。そもそも、今回初めて「家族」をテーマに選ばれたのはなぜですか。
家族って、他の人とはどうしても距離感や関係性が違う存在じゃないですか。そこに自分という人間性の根源が表れてしまうし、いつかは描きたいと思いつつも、実は怖くてずっと避けてきたテーマだったんです。でも、そろそろ描いてもいいタイミングなのかなと思って。
――ペヤンヌさんにとって、他人とは違う家族の特殊性って、たとえばどんなところでしょう?
私の場合、家族の前だと喜怒哀楽の沸点が低くなるというか、いきなり激怒したり号泣したり、感情をさらけ出してしまうんです。家族と接するときの自分が一番ブスだなあ、と思いますね。
家族とは、どうしても自他の境界線があいまいになって、相手を"個"として見れない部分がある気がして。自分と同じように相手も感じているだろうと思い込んでしまったり、自分の嫌な部分を相手の中に見つけて、いらだちをぶつけてしまったり。
――まさに近親憎悪ですね。「こいつ嫌いだな」と思う人をよくよく見たら、昔の自分に似ていた……なんてこと、ありますもんね。
特に家族に対しては、それが強く出てしまう気がします。今回のタイトルって、文字通り「お母さんが一緒」の人たち="姉妹"というつもりで付けたんですが、稽古前に出演者で話し合っていたら、三姉妹の背後にそれぞれ常に「お母さんが一緒」にいる="お母さんを背負っている"という意味にも解釈できるなと気付いて、ゾッとしましたね(笑)。
"母に似ている私"が"父に似ている私"を責める
――ペヤンヌさんご自身は母親からの影響をどう感じていますか? ペヤンヌさんの自伝的な著書『たたかえ!ブス魂』(KKベストセラーズ)には、父親の愚痴や悪口を言っているときが一番元気でいきいきしていたというお母さまのエピソードが出てきますが。
やはり、かなり影響を受けてますね。とにかく母は、ネガティブなパワーを原動力に生きているような人で、特に父に対する愚痴や文句を、物心ついてからずっと聞かされて育ってきたんです。
「お母さんみたいになりたくないな」と思っていたはずなのに、いつしか私も他人の言動へのツッコミやアラ探しが異常にうまくなってしまって……。ただ、そのおかげで今みたいな作風の戯曲が書けるようになったのかもしれませんけど(笑)。
――そういうお母さまの態度が、父親像や男性観にも影響を与えたりは?
していると思います。「お父さんみたいな人とは結婚したくない」と漠然と思っていたのですが、悪口を言わなくて済むような人と結婚して幸せになるロールモデルを知らないんですよ、見てないから。「両親みたいな夫婦が理想です」と言える人が羨ましかったです。
父は上昇志向があってポジティブな人でしたが、外でいい人ぶって溜めたストレスを家族にぶつけるようなところがあって、物にあたるんです。反動で、そういう男の人は絶対選ばないようにしようと思っていたのに、気が付くと言葉の暴力を振るう人と付き合っていたり。
――でも、ペヤンヌさんご自身にも、そんなお父さまから受け継いだ性質があるわけですよね?
そうなんですよ。私は、褒められたくて努力するところや、外ヅラがよくて我慢するところ、カッとなったときの切れ方とかが父に似ていて。母と一緒になって父の悪口を言っているときはいいんですが、つらいのは、そんな父の性質が自分にもあると気付いたとき。父に似ているポジティブな自分を、母に似ているネガティブな自分が、自己否定・自己嫌悪するようになっちゃったんです。
――そんな引き裂かれた自分を意識したのは、いつ頃ですか?
高校卒業後に一人暮らしをして、親元を離れてから。そのとき初めて、母の言葉の暴力も異常だったんだということに気が付きました。実際以上に「お父さんは悪者だ」と洗脳されていたなって。
家族と距離をとることで、親のありがたみもダメなところも客観的に見られるようになったというか。親といるときは常にイライラしていたのが、性格も穏やかになって自分本来のペースで生きられるようになった気がします。
「子供が欲しい」気持ちに隠されたエゴ
――近年、「毒親」という言葉も浸透してきましたが、親の呪縛を断ち切るのって難しいですよね。
それまで物理的・経済的に親に依存してきたという恩や借りがありますからね。わたしも、自力でがんばって勉強して東京に出てきたと思っていたけど、実際は親が大学に行く資金を出してくれていたわけで。
子供の側も、どこかで自分を守ってくれること、味方してくれることを親に期待しちゃっているし、情があるから見放せない。親の呪縛から逃れなさいと言われて逃れられたら、とっくに逃れてますよね。
――年を重ねて、お母さまに対する思いに変化はありましたか?
お母さんの人生ってなんだったんだろうと考えてしまうときはあります。文句ばっかり言いたくなるような人と結婚して、専業主婦になって、子供だけが生きがいのような人生を送って……。それもあって、自分が母を喜ばせてあげなきゃ、みたいな変な義務感に駆られてしまっていた気もしますね。
今は、母が年老いていくとともに幼児化しているというか、年々子供っぽくなってきていて。守ってもらう存在から、わたしが守らなきゃいけない存在になってきた。「お母さん」だと思うから腹が立つけど、「自分の気持ちをわかってほしい女の子」なんだと思うようにしたら、母のことを少しは受け入れられるようになりました。ただ、最近は「孫が見たい」という期待がプレッシャーで……。
――親からの呪縛のタネは尽きませんね。
親がただ「孫」と口にしたのを、私が過剰反応してプレッシャーに感じているだけなのかもしれませんけど。ただ、ここ10年くらい自分でも子供が欲しいと思うようになったんですが、その理由を突き詰めていくと、この先ひとりで年老いていって、家族がいなくなるのが不安だからというのも本音としてあるんです。
自分が今、親のことを心配したり、死んだら悲しんだりという気持ちを、自分は子供がいない限り誰からも思われないのかあ……って考えてしまうんですよ。でも、それって私のエゴじゃないですか。結局、子供を自分とは違う“個”として考えられていないんじゃないかと思って、怖くなりましたね。
似ているからこそ憎み合い、離れられないからこそ傷つけ合ってしまう、家族という名の血縁関係。家族との適切な距離感や関係性を模索するには、自分とは別の存在として完全には切り離せないということを、まずは自覚するしかないのかもしれません。
ペヤンヌさんの舞台は、そんな人間関係をときに辛辣に、ときにユーモラスに描きながらも、ささやかな希望を持たせてくれるものになるはずです。ぜひ観劇をおすすめします。
第6回ブス会*『お母さんが一緒』
2015年11月19日~30日 下北沢ザ・スズナリ
脚本・演出: ペヤンヌマキ
出演: 内田慈 岩本えり 望月綾乃 加藤貴宏