プラザ合意前のドル高の背景とは?

今からちょうど30年前の9月22日、ニューヨークのプラザホテルに集まったG5(先進5か国、米、英、西独、日、仏)の蔵相たちは、ドル高是正、為替レートの安定に関して合意した。いわゆる「プラザ合意」だ。プラザ合意を契機に、その直前に240円を超えていたドルは急落し、1988年11月にかけて120円ちょっとまで減価することとなった。

プラザ合意前にドル高が進行していたのには、以下のような背景があった。1981年に登場したレーガン大統領は、所得税率の引き下げなど大幅な減税を断行。その一方で、東西冷戦のさなか「強いアメリカ」を標榜して軍備を拡張した。減税が景気を刺激する結果、かえって税収が増えるという「ラッファーカーブ」の理論は「絵に描いた餅」に終わり、また国防費以外の歳出の削減も議会の強い反対にあって実現しなかった。その結果、財政赤字が急激に拡大した。

当時、国内の貯蓄が財政赤字(=政府の貯蓄不足)を十分に穴埋めできなかったので、貯蓄投資バランスをみると、外国部門は大幅な貯蓄であった。それは経常収支の赤字の裏返しでもあった。こうして、悪名高い「双子の赤字」がもたらされたのだ。

外国から資金を惹きつめるために金利が大きく上昇し、その結果ドル高が進行した。1970年代の二度の石油ショックの名残もあって、インフレ対策から政策金利は10%前後まで引き上げられていた。ドル高が、景気に打撃を与えて財政赤字を拡大させ、また国際競争力の低下を通じて経常収支を悪化させた面もあった。

あれから30年、米国経済にとって「ドル高」が再び問題視

あれから30年、米国経済にとって「ドル高」が再び問題視され始めている。「米FRBが公表するドルの実効レートは、過去最高だった2002年の水準に8%以内に迫っている」との記事を見かけた。しかし、この指摘にあまり意味はない。各通貨に対するレートを貿易加重で平均した実効レートは、ドルの実力をみるうえで重要な指標だが、この記事が言及しているのは「名目」かつ、幅広い通貨が対象の「ブロード」の実効レートだ。長期間で考える場合は、インフレ率格差を勘案した「実質」をみる必要があり、とりわけインフレ率の高い新興国の通貨を多く含む場合は尚更だからだ。

今年8月時点の「実質」「ブロード」のドルの実効レートは、直近ピークだった2002年2月の水準を約14%下回っている。もっと重要なのは、過去最高だった1985年3月の水準を24%下回っていることだ。

ドル実効レート

プラザ合意前のドル高は、経済政策の失敗がもたらした、身の丈を超えたドル高だった。足もとで進行しているドル高は、米国経済の強さを評価したものだろう。あくまで、他の国との比較における「相対的な強さ」ではあるが。

もっとも、今年8月の水準は1973年以降の平均値を2%上回っており、過去10年平均と比べれば10%近く上回ってきたので、「ドル高」には間違いない。米当局が安心していられるというわけではなさそうだ。   

執筆者プロフィール : 西田 明弘(にしだ あきひろ)

マネースクウェア・ジャパン 市場調査部 チーフ・アナリスト。1984年、日興リサーチセンターに入社。米ブルッキングス研究所客員研究員などを経て、三菱UFJモルガン・スタンレー証券入社。チーフエコノミスト、シニア債券ストラテジストとして高い評価を得る。2012年9月、マネースクウェア・ジャパン(M2J)入社。市場調査部チーフ・アナリストに就任。現在、M2JのWEBサイトで「市場調査部レポート」、「市場調査部エクスプレス」、「今月の特集」など多数のレポートを配信する他、TV・雑誌など様々なメディアに出演し、活躍中。