富士ゼロックスは7日、経済同友会の元代表幹事で富士ゼロックス元会長の小林陽太郎氏が、2015年9月5日に左慢性膿胸により死去したと発表した。82歳(1933年4月25日生まれ)だった。
国際派経済人、教育にも尽力
小林氏は1933年4月25日ロンドン生まれ。1956年慶應義塾大学経済学部卒業、1958年ペンシルベニア大学ウォートンスクール修了後、富士写真フイルム(現富士フイルム)に入社。1963年富士ゼロックスに転社し、企画部長、取締役販売本部長などを経て1978年に44歳で代表取締役社長に就任した。その後、取締役会長、相談役最高顧問などを務め、2009年3月31日付で退任。
1999年より経済同友会代表幹事に就任し、企業の社会に対する責任(CSR)を中心テーマとした第15回企業白書『「市場の進化」と社会的責任経営企業の信頼構築と持続的な価値創造に向けて』を発表。2003年より同終身幹事。2003年から2015年まで国際大学理事長。慶應義塾理事・評議員。なお、ソニー取締役、日本電信電話取締役、キャロウェイ・ゴルフ社などの社外取締役も務めた。
また、国際派経済人として知られ、日米欧三極委員会アジア太平洋委員会委員長、日米経済協議会会長、新日中友好21世紀委員会日本側議長などを務めた。
葬儀ミサ・告別式は近親者のみで執り行う。「お別れの会」は後日開催するが、日時・場所は未定としている。