ボーイング747型機やDC-8型機などが運航されていた昭和60年(1985)11月1日、事業計画の長期的な展望に立ってJALが導入したボーイング767-200型機が羽田=福岡線に就航した。それから30年となる2015年8月31日に、30年分の感謝を気持ちを込めてJALは「ボーイング767型機導入30周年イベント」を実施した。
JAL初の767は「ジャンボに比べると地味」
同イベントは767型機に乗務する片野裕治副操縦士が立案し、JALマイレージサービス「JALマイレージバンク」の会員とその家族の約50人を招待して実施された。就航当時の雰囲気を伝えるために、CAも当時使用されていたJAL6代目で森英恵デザインの制服をまとって参加者をもてなし、初便を担当した767型機の初代乗員部長・小布施雅士元機長が当時の様子を語った。
767型機はオイルショックが起きた1970年代に開発されたことも関係し、経済性に配慮された双発(エンジンが2つ)のセミワイドボディ機で、積載力や航続力の高さに対して離着陸や上昇・下降にかかる距離が大幅に短いというメリットを持っていた。JALは同社初となる767-200型機を昭和60年7月23日に受領、767-200型機より機体が5.6m長い767-300型機は昭和61年(1986)10月20日に世界で初めて受領している。
昭和60年8月17日に行われた767-200型機のデリバリーフライトも、小布施氏が機長として乗務したという。当時の様子を「ジャンボ(ボーイング747型機)に比べると地味」と語ったが、その理由としてANAが昭和58年(1983)6月に767-200型機をすでに導入していたこと、そして、JAL123便墜落事故の直後であったためJAL全体が蜂の巣を突いたような状態で動きまわっていた時期だったことを挙げた。
機械がイニシアチブを執る契機
ただし、パイロットとしては「これまで"1尺、2尺"で計算していたものが"m、km"に変わったようなもの」とこれまでの環境から激変したことを明かした。767型機にはアナログ計器ではなく液晶を多用したグラスコックピットが搭載され、航空機関士を加えた3人体制での運航がパイロット2人だけでの運航に変わる契機にもなり、意識改革が必要とされたという。
「今までは人間がプランを立てていたが、767型機では機械がイニシアチブを執り人間が見守るという関係に変わった。以前は何かおかしいと思えば機械を疑ったが、今はひょっとしたら自分が間違っているのではないかと思うようになった」と小布施氏は話す。
また、767-300型機に関してはJALがローンチカスタマーであったため、設定にはJALの提案が生かされたという。例えば、従来はパイロットが手動で行っていたベルトサインは、この時にJALがボーイングに提案することで現状の自動化に切り替わったという。なお、低速と高速しかなかったコックピットのワイパーに、いわゆる"間欠ワイパー"の設置を提案したものの構造的な問題で断念されたが、後に開発されたボーイング747-400型機には設置されていたという。
CA監修の「機内放送体験」も
イベントでは小布施氏の講和のほか現役パイロットによる「航空教室」も実施され、旅客機が滑走路へ近づく際の角度は3度などと、クイズを交えながら飛行機に関する様々なレクチャーが行われた。子供の参加者からは「おなかが空いたらどうするの? 」という質問もあり、パイロットもコックピット内で食事をしていると回答しながら、子供の目線に合わせて「奥さんが作ったおにぎりを食べることもあるよ」と語りかけるシーンもあった。
最後には格納庫で現役のパイロットやCA、整備士たちが767-300型機の操縦席や客室を案内。CAからのギャレーの構造や機内業務のレクチャーに加え、「ただいま、シートベルト着用のサインが点灯しました。シートベルトをしっかりとお締めください」などと、機内放送の体験も機会も用意されていた。また、操縦席に座りながらパイロットから設備の説明を受けた子供は、「とってもかっこよかった。これで大きな飛行機が動くなんてすごいなって思った」と感動した様子だった。
JALは現在、767型機を60機発注しており(-200型機が3機、-300型機が22機、-300ER型機が32機、-300F型機が3機)、-300型機を12機、-300ER型機を32機保有している。767-200型機の初号機は2011年3月10日に退役となったが、767型機にはJALの最新仕様である「JALスカイスイート」や「JALスカイネクスト」搭載機もあり、就航30年目以降も国内・国際線での活躍が期待されている。